植物刺繍と季節のお話 第12話(後編)|早春色のピンクッション

刺繍作家・マカベアリスさんが、自然の景色や植物からインスピレーションを受けて、刺繍作品をつくり上げていくまでを綴ったエッセイも、とうとう今回がクライマックス。最終話は、針仕事に敬意と感謝を込めてピンクッションのお話です。

撮影:マカベアリス、奥 陽子(マカベさん) 作品制作・文:マカベアリス

 

静かな公園に音無き歌声を聴く

いつもの散歩道を少し変えて、近所ながら歩いたことのない路地に入ってみました。しばらく行くと、突然現れた大きなコブシの木。

住宅街の中の小さな公園にそれは植わっているのです。八分咲きくらいでしょうか。誰もいない公園で、ひっそりと咲いているように見えます。

ふっくらとした蕾、そこから花びらを少しだけ覗かせているもの、すっかり開いてピンク色の雄しべを覗かせつつ天を見上げているもの、しばらく眺めているとさまざまな花の姿に気づきました。それらはまるで、やって来た季節を喜ぶ歌を歌っているかのよう。静かな公園に声無き歌声が響いているのでした。

同じ季節に、似た花でモクレンがあります。こちらはいつも通る曲がり角に毎年庭で咲かせているお家があり、この季節の密かな楽しみとなっています。

大きな白い花が、すっくと天に向かって咲くさまを見ると、まるで祈りの手を合わせているように感じるのです。

 

道端にも春の気配がちらほらと

 少しずつですが、確実に春はやって来ています。道端のコンクリート壁の隙間からは今年もオニタビラコが顔を出し始めました。

そして薄紫の特徴ある形がかわいいツタバウンラン。ホトケノザも道端の常連です。

朝露に濡れたキイロカタバミは、昼間の開花に備えてまだ眠っているようでした。

季節はどんなときにも巡ってくるのだなあ。当たり前のような、そんなことに励まされながら、今日も私は針仕事に励んでいます。

 

悩むのも、喜ぶのも、悲しむのも、ひとり

子どもの頃から針仕事に親しんできた私ですが、10年ほど前に刺繍を仕事にしてからは少し様子が変わって来ました。

特にこの5、6年ほどは、ありがたいことですが、たくさんのお声がけをいただくようになり、そうなるとひたすら制作の日々が続きます。仕事なので当然締め切りがあります。カレンダーをにらみながら、ときには何日も作業部屋にこもりきり・・・ということも。

図案をつくりつつ悩むのもひとり、行き詰まるのもひとり、うまくいってもひとり、嬉しくても悲しくてもひとり。「なんだかすごく孤独だなあ・・・」本音を言えばそんなことが心に浮かびます。

先日あるミュージシャンがテレビ番組で話していました。5万人のライブを終えて帰宅し、洗濯機を回していたら、言いようの無い孤独感が襲ってくるんです・・・と。

そうなのか。あんなに多くのファンを持ち、賞賛と羨望の眼差しを集める彼でさえも孤独を感じると知って、驚くとともに共感しました。

考えてみたら、人間は生れ落ちるときもひとり、いつかあの世に旅立つときもひとり。もともと孤独な境涯です。良いことも辛いことも、苦しいことも楽しいことも、神様が与えてくださった人生だと思うと、全て引き受けてひとり生きていかねばなりません。

 

孤独だからこそ、人々の心を温かくするものをつくりたい

植物を見ていると、与えられた人生をありのままに精一杯謳歌して生きているように思え、私が植物に惹かれるのはそんなところも理由の1つです。

けれども人間は孤独だからこそ、お互いに励ましあって慰めあって一緒に歩いて行こうと求めるのかもしれません。そして心を通い合わせて新たな力を得、またひとりで生きていけるのでしょう。

「孤独なのは私だけではない。」と、そんなことがわかってから、私の心はだいぶ楽になりました。そしてできれば、ひとり生きている人々の心を少しでも温かくするようなものをつくりたいと。

 

針仕事に敬意と感謝を込めてピンクッションを

そんな思いを巡らせながら刺していた、ピンクッションの刺繍もようやく終わりました。

春爛漫にはまだ少し早いけれど、春を待ちわびる気持ちを、抑えた色味の草花で表せたような気がします。

次は仕立ててわたを詰める作業です。日頃お世話になっている針が少しでも気持ちいいように詰める純毛のわた。純毛は適度に脂を含み、針をサビから守ってくれます。

お気に入りのピンクッションができて、ますます針仕事がはかどることでしょう。

私の小さな作業部屋で生まれる手仕事が、これからも皆さんの友達のように寄り添う存在でありますように。そんな祈りを込めながら今日も針仕事に励んでいます。

1年間の連載にお付き合いくださり、ありがとうございました。

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