相馬美保さん(後編)|無心になれる感覚に思わず夢中! 一針一針を小気味よく。伝統技法のリュネビル刺繍

相馬美保さん(後編)|無心になれる感覚に思わず夢中! 一針一針を小気味よく。伝統技法のリュネビル刺繍

オートクチュール刺繍の代表的な技法、リュネビル刺繍を手軽に楽しむことができるコンパクトな卓上刺繍枠を開発した「Apollon(アポロン)」の代表・相馬美保さんへのロングインタビュー。前編では、アトリエの様子と作品をご紹介しました。後編では、相馬さんが監修を務めた『はじめてのオートクチュール刺繡』のお話と、記者が体験したリュネビル刺繍のレポートをお届けします。

撮影:奥 陽子 取材・文: 酒井絢子

『はじめてのオートクチュール刺繍』は、リュネビル刺繍に使用する専用のカギ針・クロシェの使い方やテクニックを、わかりやすいプロセス写真で丁寧に解説。2020年2月に出版されたこの本は、相馬さんの監修のもと、3人の刺繍作家の幅広い表現と技術が集まった、見応えのある一冊です。


▲岩下ゆかりさんの華麗な作品が表紙となっている『はじめてのオートクチュール刺繡』。リュネビル刺繍の指南書として、技法を丁寧に解説している。素材・道具の購入先も紹介。

 

幅広い表現と基本の技法を一冊に

書籍制作のきっかけとなったのは、以前Apollonから出版した『CROCHET DE LUNÉVILLE リュネビル刺繍で描く オートクチュールの世界』と『CROCHET DE LUNÉVILLE Ⅱ リュネビル刺繍を楽しむための道具とテクニック』。フランス語版と英語版も出版されている冊子です。

「冊子はどうしても販売する範囲が限られてしまうけれど、この本はより多くの人に手に取ってもらえると思うので、リュネビル刺繍の魅力が広く伝わるといいですね」


▲一筆描きのようにひと続きのチェーンステッチで仕上げることができる「アクセサリートレイ」の羽根の図案。「上下左右、さまざまな方向へ刺す練習になるので、初心者に挑戦してほしいですね」

基本のテクニックだけで仕上げられる小物から、集大成のような壮麗なサンプラーまで幅広く収められている『はじめてのオートクチュール刺繍』。難易度の高いデザインのものは、裏側から撮影された写真も大きく掲載されています。

「刺繍した生地の裏側を見せている本はなかなかないですよね。リュネビル刺繍は実際には裏側から針を刺すので、裏からの写真があるとかなりわかりやすくなるかと思います」


▲掲載作品の中でも特に初心者向けの「ストライプとボーダーのポーチ」。薄手のレザーとオーガンジーを重ねて仕立てている。


▲刺し埋めるのではなく、空間をつくることで、素材の形や色がより強調されている。ビーズやスパンコールの微妙な色の違いも楽しんで。

イベントなどでも体験レッスンやデモンストレーションを開催したりすることもあるそうですが、それだけでは技術を覚えてもらうのが難しく、だからこそ紙の本となってリュネビル刺繍に興味のある人の手元に届くようになったことが嬉しい、と相馬さん。

「写真とレシピがあれば、初めてやる人も経験がある人もいつでも確認することができるので、実用的ですよね。そのためにも作業工程のページにはこだわりました」

 

繊細な糸のチェーンステッチが基本

両手を使い、専用のカギ針・クロシェを使って仕上げていくリュネビル刺繍。その手先の作業を実際にやってみると、無心になれる感覚や楽しさにはまる人も多いそう。


▲レッスン用に、トレーシングペーパーに印刷された図案と、オーガンジーに刺繍されたサンプル。直線をマスターしたら角の練習、縁の練習・・・と順を追って基本の練習をするために、相馬さんが考案したもの。


▲ビーズとパール、スパンコールといろいろな素材を刺すので、練習にも最適なビーズトレイ。キットとして発売もされている。手前はApollonのロゴを仕立てたもの。


▲書籍にも掲載された「小さな蝶々のピン」の図案をチュールに。羽は左右対称になるようにビーズとスパンコールを刺すのがポイント。

今回は特別に、記者も相馬さんから手ほどきを受けることに。実際にアトリエでもレッスンを開催しているという相馬さんのレクチャーはとても丁寧で、短い時間でも基本の針の動かし方を理解することができました。


▲対面で座っているにも関わらず、手の動かし方で混乱することのないようわかりやすく指導してくれる相馬さん。


▲リュネビル刺繍にもっともよく使われるのは、「フィラガン」というロウ引きコットン糸。とても細く、割れにくいため刺しやすい。

進行方向をしっかりと意識して針を刺していくのがリュネビル刺繍の特徴。針先のカギ部分に糸を引っ掛けるので、方向を間違えると糸を針から落としてしまいます。


▲オートクチュール刺繍に使用する専用のカギ針「リュネビル針」。必ずネジとカギの向きが揃っているので、作業中は、ネジの向きでカギが向いている方向を確認できる。

はじめのうちは針の動かし方に慣れず、何度も糸が外れてしまいましたが、「1で生地に刺し、2で糸を引っ掛け、3でクロシェを回転、4で針を引き上げ、5で回転…というように、1、2、3、4、5とリズムよく、常に針を垂直に」という相馬さんのアドバイスを受け、だんだんとスピードアップできるまでに。

コツをつかむと従来のチェーンステッチよりずっと早く刺し続けられていることに気がつきます。

 

ビーズやスパンコールも軽やかに留められる

基本のチェーンステッチに慣れてきたら、極小バールの刺繍に挑戦。ビーズ針を使ったやり方とは違い、縫いつける糸にパールを通してから留めつけていくので、ストレスが少なく、早いスピードでパール粒をつけていくことができるのです。


▲パールやビーズ、スパンコールは、パーツが通っている糸端に結び目を作り、刺繍糸を通し、スライドさせるようにパーツを刺繍糸の方に通していく。『はじめてのオートクチュール刺繡』では、この工程についても詳しく説明されている。


▲進行方向にネジが向くように注意しながら進めていく。下の手の位置はクロシェの真下にくるように。

下の手でパールを一粒ずつ生地に押し当てながら、基本のチェーンステッチの要領で針を進めていきます。バラになった一粒をつまみあげて針に通して…という従来のビーズ刺繍のような作業はありません。小さなパール粒が転がっていってしまうような心配もなく、針を動かすたびにスイスイと生地に粒が並んでいく様に、静かに感動してしまいました。


▲途中で生地裏(作品の表)を確認する際は、クロシェをはずし、シルクピンを使って留めてから刺繍枠ごとひっくり返す。留めずにひっくり返すと糸が抜けてしまう。

基本的に裏側から針を刺すのがリュネビル刺繍ですが、Apollonの刺繍枠「ウルド」は枠を取り外して裏返すのも簡単。一度手を止めてパールの刺し具合をチェックします。触ってみると、並んだパールがしっかりと揺るがず留めつけられていて、さらに感動!


▲クロシェで刺繍をする場合、前もって糸をカットするのではなく、糸巻きから直接糸を引き出して使う。「ウルド」は枠の縁に糸たて棒を差し込み、糸巻きを立てることができる仕様になっている。

続いてスパンコール刺繍にも挑戦。スパンコールはとても薄く、一枚一枚を左手の指先で拾い上げるのに少々苦心しましたが、慣れてくればこれまた楽しくなってきて、夢中で刺し続けてしまいます。

「リズムよく同じテンポでひたすら刺していくので、まるで修行のようだと生徒さんがおっしゃっていますね。でも、従来の手刺繍よりも断然早く仕上がるし、無心になってやるのはとっても楽しいものです」と相馬さん。


▲記者が生まれて初めて挑戦したリュネビル刺繍基本のチェーンステッチと、パール、スパンコールを留めたステッチ。所要時間は45分程度。


▲進行方向に注意しながら刺していくリュネビル刺繍は、写真のサークルや薔薇のようにカーブしているものや、ランダムに進む図案が簡単そうで難しいそう。

リュネビル刺繍を「私にもできそう」と思ってもらうことも大事だと言う相馬さん。憧れのメゾンの技術を身近なものにすることができるリュネビル刺繍は、ほかにはない魅力に溢れています。

 

リュネビル刺繍を楽しむ時間を、もっと多くの人へ

「日常の合間を縫って刺繍をする時間は本当に癒し。私自身も、刺繍する時間があったから苦しい時期も乗り越えられたと思っているんです」と相馬さんは言います。刺繍枠を通して多くのオートクチュール刺繍作家さんとも交流がある相馬さんですが、いざ自身で制作してみると、作家として活躍されている方はやっぱりすごいと改めて思うそう。

「作家さんによってもテイストがかなり違うんです。“オートクチュール”という言葉のイメージとはまた違った印象の作家さんもいて、多種多様なところも面白いんですよ」。冊子やApollonのホームページでもそれぞれの作家さんが開講している教室を紹介したりしていますが、もっともっと広めていきたいと意気込みます。


▲制作途中の相馬さんの習作。「色を決めるのがいちばん難しいですね。刺してみてから、この色はここじゃないなと気がついたりすることも」


▲ビジューやウール糸など、異なる素材が使われ、とても華やか。材料が幅広く自由であるからこそ、何を使うかを考えるのが難しいところなのだそう。

日本ではまだまだ、リュネビル刺繍は“知る人ぞ知る”刺繍の一つ。より多くの人に実際に手を動かして楽しんでもらえるよう願っているという相馬さん。リュネビル刺繍が日本でも長く愛されるものになるよう、レッスンや書籍制作、そしてオリジナルの刺繍枠を通して活動を続けていきます。

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