菊一文字の手芸ばさみ|歴史ある老舗だからこそ、真摯なものづくりへの努力を今日も。

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菊一文字の手芸ばさみ|歴史ある老舗だからこそ、真摯なものづくりへの努力を今日も。

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京都三条で、700年以上の歴史を今も育み続けている刃物の名店「菊一文字」。プロにも、一般のお客さまにも愛されているこのお店は、観光客や海外からのお客さまで今日もにぎわっています。数えきれないほどの刃物の中から、私たちにとっても包丁同様に身近な手芸用のはさみについて教えていただきました。

撮影・石川奈都子 取材・文:平岡京子

700年の歴史のなかで受け継がれてきた巧の技

はじめに、菊一文字の刃物づくりの歴史について少しお話ししましょう。

およそ700年以上も前、後鳥羽上皇の御番鍛冶(注)であり、刀匠の元祖とも言われる則宗が、刀をつくるにあたり菊の御紋をいただき、その紋の下に横一文字を彫ったことから、通称菊一文字と呼ばれるようになりました。
(注)御番鍛冶・・・後鳥羽上皇が、諸国から各月交替に院に召し出して作刀させた刀鍛冶。


▲歴史のある店舗が数多く残っている商店街にあっても、一際目を引く力強い文字。

刀鍛冶から始まった菊一文字ですが、明治以降は作刀を中止し、料理用、工匠(工作)用、手芸用など幅広い種類の刃物の製作に、磨き抜かれた匠の技が評判のお店となりました。


▲壁に飾られた明治時代の菊一文字の看板。厚みのある木材は年月を経て、味わいのある飴色に。

 

はさみづくりに欠かせない“ひずみ”

菊一文字では包丁同様、各種のはさみも取り扱っています。中でも私たちがふだん手にする機会の多い、握りばさみや裁ちばさみなどの手芸用ばさみについて、18代目当主、泉将利さんにお話を伺います。


▲ところ狭しと並べられた大小各用途のはさみ。ひとつひとつにこだわりのものづくりがされていて使いやすいため、長年に渡るファンの方も多い。

握りばさみと裁ちばさみ、とても形の違う刃物ですが、その製作の工程はほぼ同じであることをご存知でしょうか?

基本的なつくり方は、比較的柔らかい鉄である地金に、硬い鋼をのせ、熱を加えながら叩いて成形。成形されたはさみは、焼きを入れることで硬くなり、完成品となっていきます。


▲裁ちばさみの製作工程を示した額。地金に鋼を重ねて叩くところから始まり、焼きを入れて強化して仕上げるまでがひと目で分かる。

泉さんから、はさみづくり、はさみ選びにとても大切な事柄“ひずみ”という言葉を教えていただきました。

「はさみは2枚の刃で布を挟むように切る道具です。そして、その2枚の刃の間には、必ず意図して生じさせた目に見えないほどの隙間“ひずみ”が必要なんです。その隙間があることによって、布や紙などを切ることができるんですよ」

職人の技術が未熟であれば、ひずみは大きく、布を切るときの感触がゴリゴリとしたものになり、熟練の職人がつくる絶妙なひずみのはさみであれば、布が逃げずにすっと切れるのだそうです。そのひずみによる切れ味の違いを、菊一文字さんにある価格が大きく異なる2種類の握りばさみで体験させていただきました。

1つ目のはさみの切れ味は、布を切り進めるゴリゴリ、ジャキジャキとした感覚が手に伝わってきます。でもそれは不快なものではなく、ふだん使っている握りばさみの感触です。しかし、2つ目のはさみで切ってみると、布の抵抗感が全くなく、シャキッと滑るような切り心地がしてびっくり。こちらのはさみは、菊一文字でも一番の職人さんの手によるものでした。

最初から大きいひずみのある握りばさみで頻繁に布を切れば、2枚の刃と刃で布を挟んで刃をつぶし合うように切ることになりますから、握るのに力も要りますし、早く切れ味が落ちてしまいます。


▲握りばさみには、写真左から、かぶら型(京型)、東型(舟形)、関西型(西型)、という種類がある。それぞれ刃の長さや幅が異なっているのは、地方ごとの風土の違いによって用いられる布の厚みや種類が異なっていたため。

同じようなことは、重さのある裁ちばさみにもいえることで、裁ちばさみの場合は、2枚の大きな刃をねじで止めて布を切りますから、2枚の刃が持っているひずみの善し悪しが切れ味を大きく左右します。必要以上のひずみがある2枚の刃をねじで締めて仕上げられたはさみは、やはり布を切ったときの感触がゴリゴリしたしたものになり、裁ちばさみ自体の重さによって布がすっとまっすぐに切れる感覚は得られません。当然、刃は早く傷み、切れにくくなってしまいます。


▲美しい仕上がりに心惹かれる菊一文字の裁ちばさみ。上が右利き用、下が左利き用のもの。刃の重なりが逆になっている左利き用のものには、純粋な左利きの方用と、矯正して一部左右の手が使える方向きのものも揃っている。

「良いはさみというのは、目で見ただけではわかりません。ご予算に合わせて、そして使用する頻度や用途をお店の方に伝えて、ご相談されることをお勧めします。そして、是非試し切りをさせてもらってください。はさみはひずみがある分、包丁よりも試せば善し悪しがわかりやすいんです」。泉さんが決して欠かさないお客さまへのアドバイスです。

 

買っていただいた日から始まる、店とお客さまとの終わりのないご縁

「代々、菊一文字の店で働く者は、当主であろうと使用人であろうと、全員が刃物を研ぐことと、銘(名前)を入れることが出来なくてはならなかったんですよ」。そう教えてくださったのは泉さんのお母様。泉さんと弟さんも長年鍛えられ、練習を繰り返して技術を習得したのだそうです。


▲18代目当主の泉将利さん。手にしているのは、関西の夏の味を支える独特な刃物「はも切り包丁」。

「研げないと、その刃物の善し悪しはわからないんです。でも、続けていれば徐々にわかるようになります。お客さまと職人と両方に信頼されるために、売りっぱなしにはできませんから」。泉さんのその言葉はとても力強いものでした。


▲店の奥の作業台の天板を外すと、いろいろな種類の砥石が水に浸かっている。荒砥(荒研ぎ)、中砥(中研ぎ)、仕上砥(仕上げ研ぎ)の順に砥石を使いわけて仕上げていく。

菊一文字では、購入してから何年経った刃物であろうと手入れは引き受ける、という姿勢を貫いています。海外からわざわざ持って来てくれる料理人も少なくないそうです。

「この店で働いているのは刃物を扱える者ばかりですから、修理や手入れだけではなく、例えば、握りばさみの先端を丸くしてほしい、というようなご要望にもお応えしています」と泉さん。

 

▲名前を入れるスペースがあれば、銘を入れてもらえる。使い込まれた銘切台(めいきりだい)と呼ばれる箱の上に刃物を固定し、たがねと鎚で名前を彫る。プレゼントにも喜ばれそう。

最後に、上質なはさみを大切に使い続けるためのポイントを少し。

はさみを使った後は、からぶきを欠かさないようにしましょう。そして、もし切れ味が鈍ってきたと感じても、はさみはとても繊細な刃物ですから、自己流で刃を研いだり、握りばさみを大きく開いたりするのはやめましょう。購入したお店で、お手入れや修理の相談をするのが一番です。

多くのお客さまを接客しながら、限られたスペースで黙々と名入れをし、包丁を研ぐ泉さん。真摯なお仕事ぶりを拝見していたら、泉さんの体の奥深くまで浸透している700年の伝統が、ほんの少し垣間見えたような気がしました。

 

 

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