Koyun由紀子さん(前編)|グァテマラのマヤ織りに、トルコのキリム。現地で体験したことが今の活動につながっている。

Koyun由紀子さん(前編)|グァテマラのマヤ織りに、トルコのキリム。現地で体験したことが今の活動につながっている。

キリムと出会って20年以上、教室やプリミティブテキスタイルの研究を続け、『はじめての、小さなキリムと小物たち』を上梓したKoyun(コユン)由紀子さんに、キリムとの出会いや魅力についてお話を伺いました。前編後編にわたってお届けします。

撮影:奥 陽子   取材・文:庄司靖子  撮影協力:Ladybug

キリムとは、中央アジアの広い地域に住む遊牧民が織る平織りの織物のこと。遊牧民が育てた羊やヤギの毛を刈り、紡いで糸にし、草木で染めてやっと織り始められる、手間と時間のかかる織物です。

そのキリムにすっかり魅せられてしまったのが、今回のつくり手、Koyun(コユン)由紀子さんです。Koyunとはトルコ語で羊という意味。トルコに渡ってキリム織りを習得し、現在、キリム手織り工房koyunを主宰するKoyunさんは、2019年10月に『はじめての、小さなキリムと小物たち』を上梓しました。


▲Koyun由紀子さん。木枠にタテ糸を張り、ヨコ糸を通して織っていくキリム織り。お話をしながらどんどん織り進めていく。


▲Koyunさんの作品。2005年作。『KILIM HISTORY AND SYMBOLS』という洋書の中のマラティアキリムを見本に織ったもの。トルコ産手紡ぎ草木染め単糸を使用。


▲上記作品の下の部分。「生徒さんの作品展で私の作品も1枚は展示できるようにと織ったものです。この作品を織ることで、細かく難しそうに見えても実は織りやすいパターンがあることを学びました」

 

さまざまな手仕事を伝え広めることに興味

幼い頃からKoyunさんの周りには手づくりがありました。

「母が器用な人で、編み物や和裁をしたり、フッキングで絨毯をつくったりと、いろいろな手仕事をしていました。最初に教えてもらったのはかぎ針編み。小学生のとき、ひとりでポシェットをつくったのが最初の手づくり体験です。常に何かをつくっている母の影響もあり、手仕事をしながら生きていくことを夢見ていました」


▲右は古いキリムでできたポシェット。左はトルコの衣装の一部が端切れとして売れられていたもの。いずれも日本で手に入れ、修繕して使っている。

もっと見聞を広めようと海外へ飛び立った先はカナダのプリンスエドワード島。絵を描いたりキルトをつくったりしながら、いろいろな手仕事を習得するうちに、その技術を伝え広めることに魅力を感じるようになったと言います。折しも滞在先で織り機や織物を見る機会があり、元々やってみたかった織物への関心が高まっていったそう。

 

シンプルかつ緻密な織物を求めて、グァテマラへ

カナダから帰国後、織物をやりたいと思ったものの、織り機は大きくて、習うにしても受講料も高い。東京のひとり暮らしでは難しいなと考えていたところに、グァテマラから帰国した友人から「現地では棒だけで織物を織っていた」という話を聞いてさっそく本を探しました。

シンプルな織り機で生み出される緻密な織物に衝撃を受けたKoyunさんは、これなら自分でもできるのではないかと、1995年、グァテマラへ旅立ちます。


▲帰国後、グァテマラで習得した腰帯機で織ったマヤ織り。「片面縫取織」という技法で織られている。

グァテマラには2か月間滞在し、マヤ系の先住民のお宅で織物を教えてもらいました。

「私はマヤ織りと呼んでいるのですが、道具は棒だけ。あとは柱と自分の体があれば織れるんです」

このシンプルな道具と織り方で民族衣装まで織ってしまうマヤ織りにすっかり魅了されたKoyunさんでしたが、いざ日本でやろうと思ったら、家には柱がない、ガンガンと音が出る、などの理由で、広めるのは難しいことに気づきました。

 

キリムという織物を知り、今度はトルコへ

そんなとき、今度はトルコを旅した友人が、「キリムという織物を女の子たちが織っていた」と教えてくれ、すぐに書店へ。そこで出会ったのが『KILIM The Complete Guide』という洋書でした。「これだ!」と思うと、Koyunさんはすぐにトルコに向かったのです。1996年のことでした。


▲こちらは最初に見つけた洋書とは別のものだが、同じようにキリムを紹介した本で、教室でも色やパターンの参考にしている。

トルコ滞在も2か月間と決め、カッパドキアのウルギュップという町でキリムを教えてくれる人はいないか聞いて回りました。でも現地の人も、技術を教えるために人を受け入れるという経験がないので、なかなか教えてくれる人は見つかりません。それでも根気よく交渉していくうちに、いいよ、と言ってくださる方に巡り会いました。

「若いご夫婦で2歳のお子さんのいる家にホームステイをさせてもらいました。その家の近くに住む叔母さんがキリムを教えに毎日来て教えてくれたのです」

これだ!と思ったらすぐ行動に移すそのパワーはどこから来るのか、と尋ねると、「無知だったので」と笑います。「日本ではこの技術は習えない。現地で学ぶしかない、という強い思いがあったから」と話してくれました。

トルコではホームステイをしている間の1か月間で1枚織る、ということを目標にしたKoyunさん。教えてくれたギュルスンさんと二人で並んで織っていき、目標通り1か月で初めてのキリムを織りあげました。


▲初めて織ったキリム。端にTURKIYE96と織り込んである。TURKIYEはトルコという意味。1996年の作品。「私が左側を織り、ギュルスンが右側を織りました」

 

キリムの復興活動をする工房にも足を運ぶ

1か月かけてキリムを織りあげたKoyunさんは、次にコンヤの町に向かいます。当時、草木染めの糸を使って織る、昔ながらのよいものを復興しようというプロジェクトがあり、コンヤにはその活動をしている工房がありました。その復興キリムのなかに、Koyunさんがずっと織りたいと思っていたシャルキョイキリムがあったのです。


▲トルコで手に入れた草木染めの糸。手染めは色にむらが出て、織ると味のある仕上がりになる。そこがキリムのよさでもある。

「十代の女の子たちが織り子として働いているコンヤの工房に連れて行ってもらい、毎日一緒に織らせてもらいました。その中でも一番上手な女の子の隣で一緒に織らせてもらえたのがいい経験になりました」

その工房には染め場もあり、最終的にはそこにも連れて行ってもらい、できあがったものを洗う洗い場での作業も見せてもらうことができたそう。

「これでひと通り、自分の学びたいことや技法は学べたと思いました。グァテマラでもトルコでも、実際に体験すること、そして上手な人の織り方や作品をしっかり見て、インプットすること、これが大切。また、1か所だと技法も偏ってしまうので、グァテマラでもトルコでも、2か所ずつ習いに行けたこともよかったです」


▲Koyunさんの作品。2012年作。トルコ産手紡ぎ草木染め単糸で織った、2枚接ぎの作品。「1枚目は2002年に、2枚目は2012年頃織りました。異なる産地の糸のため質感が違い、接ぎ合わせに大変苦労しました」

「現地では、教えてもらう時間は午前中2時間という約束でした。生活もあるし、またそれ以上やると疲れるから。でも、午後もやりたくて仕方なくて、織ることもありましたが、できるだけ織らないようにしていました」

 

後世に伝えたい技術や道具がある

「グァテマラでもトルコでも皆さん本当に親切でした。トルコでは、キリムを教わりに日本人が来ている、ということが伝わって周りの人たちがいろいろセッティングしてくれ、いいキリム屋さんがある、と連れて行ってくれたりもしました」

現地の人の温かなサポートのおかげで、さまざまな技術を習得したKoyunさん。日本でのキリム制作においても、古くから伝わってきた方法や道具を大切にしています。そのひとつが糸を紡ぐ道具です。


▲遊牧民が使っている糸を紡ぐ道具、キルマンというスピンドル。

「遊牧民はドロップスピンドルといって歩きながら紡いでいたんですよ。紡ぎは誰にでもできて、癒しになります。実は一番広めたい糸仕事なんです」


▲十字形の木製部分は組み立て式で、紡いだあと分解すると糸玉になる遊牧民特有の形で、ターキッシュスピンドルとも呼ばれている。


▲ヨコ糸をタテ糸に打ち込む道具、キルキット(くし)。ヘッドが重いので、力を入れなくてもきちんと打ち込むことができる。トルコ製で、右は古いもの。

後編では、著書『はじめての、小さなキリムと小物たち』制作時のエピソードをお伝えします。

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