vol.16

マッコウクジラの社会

写真・文/トニー・ウー 翻訳/嶋田 香

写真家トニー・ウーさんの「トニーと海の物語」第16回目です。これまで2回(連載第14回、第15回)に渡ってお送りしてきました「クジラ」たちとの出会いのラストストーリーです!今までにトニーさんが伝えてくれたクジラたちとのエピソードの中でもとりわけ貴重と思われるご自身の体験を今回ご紹介頂きました!ひと時、驚くべきクジラたちの世界をご堪能ください!!

 

僕が初めて出会ったマッコウクジラ(学名 Physeter macrocephalus)は、僕の脚をくわえたあの若者(註1)でした。それ以来、マッコウクジラたちは、僕にいくつものとびきりの体験をさせてくれました。僕以上の体験をした人は、そういないんじゃないかと思います。

 

たとえば彼らは、ダイオウイカ(学名 Architeuthis dux)の食べ方を子どもに教えるところを、僕に見せてくれました。それから、仲間同士で熱心に交流している最中に、僕が一緒に泳ぐのを許してもくれました。これは数頭だけの家族の群れも、何百頭、何千頭の大群も同じです。

 

要するにマッコウたちは、彼らの暮らしを覗くというかつてないチャンスを僕にくれ、人類がこれまでほとんど見たことのないシーンに立ち会わせてくれたんです。

 

今回はその中から、とっておきの体験をひとつご紹介させてください。

 

 

上の写真は、第53回ワイルドライフ・フォトグラファー・オブ・ザ・イヤーの哺乳類部門で受賞したものです(註2)。雲のように見えるのは、マッコウクジラのウンチと、体からはがれ落ちた皮膚。その中から、たくさんのマッコウが姿を現しています。

 

この写真は、何千頭ものマッコウクジラが数日にわたって大集合していた時に撮ったものですが、このシーンには、彼らの暮らしにまつわる大切なことがらが、いくつも表れています。

 

まず第一に、この大群です。マッコウクジラのこれほど大規模な集まりについて、きちんと書いてある記録は現代でもわずかです。こういった集まりがいつ、どこで行われるのか、彼らがなぜ、どのようにして集まるかについては、いまだによくわかっていません。でも僕の目から見ると、集まっていたクジラたちは、挨拶をしあったり、声を掛けあったり、一緒に食事をしたりと、全体的に見て、明らかに楽しんでいるように見えました。

 

この言い方が100パーセント正しいかどうかはわかりませんが、この集まりは、マッコウたちの盛大なパーティだったんじゃないでしょうか。彼らはきっと、数日間の交流を楽しむために、あちこちから集まってきていたんです。


第二に、マッコウの体からはがれ落ちている皮膚ですが、これは、まったく普通のことです。病気でもなんでもありません。マッコウクジラは、何頭かで集まると、よくお互いの体をこすり合わせています。きっと、そうすると気持ちがいいんでしょうね。でも、その他にも具体的な理由があります。

 

彼らは体をこすり合わせることで、古くなった皮膚をはがすのを手伝いあっているんです。そうすることで、皮膚病にかかったり寄生虫にたかられたりする危険を減らしています。クジラには僕たち人間のような手はないし、皮膚病などの病気にかかっても病院に行けません。ですから、体をこすりあわせることで、いわゆる「お肌の手入れ」をしているんでしょうね。

 

第三に、ウンチです。クジラたちの後ろに広がる雲のような暗いもやが見えますか? 実は僕は最初、この群れの向こう側にいましたが、その時は、群れ全体が完全にウンチのもやに包まれていました。熱帯地方のよく晴れた日だというのに、海の中はどんより。ウンチのもやが厚くたれこめて、暗く濁っていました。あまりに濁っているので、視界はわずか2、3メートル。おまけに、何もかもがぼんやりとしか見えませんでした。

 

そのうちに僕は、ピンときました。球状に広がるもやの中には、数十頭のマッコウクジラがいましたが、そのマッコウたちが、移動をはじめようとしています。はっきりした合図があったわけではないですが、全体的な雰囲気からそう感じました。あなたも人ごみの中にいて、これから何かが起こりそうだぞ、と感じたことがあるでしょう?

 

僕は自分の勘を頼りに、ウンチで濁った水の中をできるかぎりの速さで泳いでいきました。クジラたちが体をからめあったりよじったりしている間を通りぬけて、群れの反対側へ。通り過ぎたクジラの数から考えて、全速力で泳いだ距離は100メートルほどでしょうか。

 

幸運なことに、彼らがいつ、どちらの方角に動くか、という僕の読みは、当たっていました。ウンチのもやから僕が抜け出たちょうどそのとき、一ヵ所に集まっていたマッコウたちが、その場を離れて、僕が選んだのと同じ方角へ動きだしたのです。

 

クジラたちの多くが、僕からほんの2、3メートルのところを泳いでいきます。僕はウンチだらけの海水をなんとか飲み込まないように気をつけながら、彼らのすぐ脇を一緒になって泳いで、写真を撮りました。なんと緊張感たっぷりの、劇的な体験だったことでしょう。

 

 

クジラのウンチは、実はとても大切なものです。それには、こんなわけがあります。

 

マッコウクジラは、通常水深800メートルかそれより深い深海で餌を探します。食べるのは主にイカ。小さいのから特大サイズのまで、あらゆるタイプのイカを探して食べます。

 

彼らは僕たち人間と同じ哺乳類なので、呼吸をするために定期的に海面に戻ってこなくてはいけません。そして海面に上がった時に、よくウンチをします。マッコウクジラのウンチは鉄分などの栄養素を豊富に含んでいるので、海の養分になります(陸上動物の糞が土壌の養分になるのと同じですね)。

 

つまりマッコウクジラは、ある意味では生態系のエンジニアだと言えます(註3)。彼らが深海にある栄養分を海面近くへ運ぶと、その運ばれた栄養分を、海面近くにいる植物プランクトンが利用します。植物プランクトンは生きるために(陸上の植物と同じように)光合成をしますが、ウンチの中には、光合成に必要な元素の多くが含まれているのです。そして、その植物プランクトンを小さな動物プランクトン(小さな小さな動物)が食べ、その動物プランクトンをそれより大きな動物が食べ、その動物をさらに大きな動物が食べます。

 

つまるところ、クジラのウンチは、世界の海を健全に機能させるために欠かせない大切なものであり、そして巡り巡って、僕たち人間にも影響を及ぼしているのです。

 

でも、すべてのことが写真に写るとは限りません。

 

 

音はマッコウクジラの暮らしにおいて、とても大切な要素です。

 

あの大きな頭の主な働きのひとつが、音を出すこと。彼らは、その音を使って餌を探します。

 

マッコウクジラは、ほかのハクジラと同じように、ある種のバイオソナーを使って水中でエコーロケーション(反響定位。音の反響で物の位置などを探ること)を行っています。音波を発して、その音が水中の物体に反射してはね返ってきたところを捕らえるのです。そして、捕らえた音を脳内で感覚に置きかえて、その物体の形や大きさを感じとったり、さらにはおそらく、「見たり」しています。海面からはるか下の深海は、光がほとんどないか真の暗闇なので、普通の視覚では物を見ることができませんが、マッコウクジラはこの能力を使って、深海で餌を見つけています。この過程は、コウモリが空中でエコーロケーションによって虫をつかまえる過程とよく似ています。

 

さきほど話に出たマッコウクジラの巨大な群れは、特徴のある耳障りな音を発していました。ブーブー、ギリギリ、カチカチ、ガーガーといった音です。でもこれらの音のほとんどは、餌を探すために出されたものではありません。

 

彼らは、おしゃべりをしていたのです。

 

マッコウクジラはとても社会的な動物です。固い絆で結ばれた社会単位という群れで暮らし、それぞれが、人間の名前と同じような働きをするシグネチャー・サウンドという音を持っています。その音を聞けば、音を出したのが誰かわかるのです。その他にも、どの社会単位に属しているかがわかる音もあります。

 

このような巨大な群れの中では、音がこのうえなく重要な役割をはたしているのではないかと僕は思います。群れの中で久しぶりに再会できたものたちは、大喜びでおしゃべりをするのでしょうし、初対面のもの同士は、じっくり交流してお互いを知るのでしょう。家族の絆も強まるでしょうし、自己紹介しあうこともあるでしょう。もちろん、友だちを作ることだってあるはずです。

 

人間のあなたや僕と、それほど変わらないと思いませんか?

 

 

 

 

 

(註1)
https://www.tsukurira.com/tony_001/

 

(註2)
https://www.nhm.ac.uk/visit/wpy/gallery/2017/images/behaviour-mammals/5194/giant-gathering.html

 

(註3)
https://www.researchgate.net/publication/263782441_Whales_as_marine_ecosystem_engineers

TONY WU(写真・文)

トニー・ウー

もともと視覚芸術を愛し、海の世界にも強く惹かれていたことから、1995年以降はその両方を満たせる水中写真家の仕事に没頭する。以来、世界の名だたる賞を次々と受賞。とりわけ大型のクジラに関する写真と記事が人気で、定評がある。多くの人に海の美しさを知ってもらい、同時にその保護を訴えることが、写真と記事の主眼になっている。日本ではフォトジャーナリズム月刊誌『DAYS JAPAN』(デイズ ジャパン)の2018年2月号に、マッコウクジラの写真と記事が掲載された。英語や日本語による講演などもたびたび行なっている。

嶋田 香(しまだ かおり)

東京都出身。東京農工大学農学部卒業、同大学院修士課程修了。英日翻訳者。主にノンフィクション書籍の翻訳を行う。訳書は『RARE ナショナルジオグラフィックの絶滅危惧種写真集』(ジョエル・サートレイ著/スペースシャワーネットワーク)、『知られざる動物の世界9 地上を走る鳥のなかま』(ロブ・ヒューム著/朝倉書店)、『動物言語の秘密』(ジャニン・ベニュス著/西村書店)、『野生どうぶつを救え! 本当にあった涙の物語』シリーズ(KADOKAWA)など。
翻訳協力:株式会社トランネット