vol.1

マッコウクジラ 僕の人生を変えた運命の出会い

写真・文/トニー・ウー 翻訳・構成/加藤しをり

今週から写真家トニー・ウーさんの新企画が始まります。「つくりら」はビューティフルライフを提案する一環として、トニーさんの写真と文章を体験していただこうと考えました。トニーさんが海で間近に接してこられた生き物たちの表情や、声なき声を体感してください。大自然や生き物たちへの愛情と感動に、きっと共感していただけると思います。ほかでは見られない海の生物たちの貴重な神秘の瞬間にぜひともお立ち合いください。

 

 

こんにちは、写真家のトニー・ウーです。僕は野生動物の写真を撮っています。とくに海の動物が大好きで、シャッターチャンスを求めて世界中を飛び回り、日本にも拠点を置いて全国津々浦々を巡っています。もしかしたら今、あなたの近くの海に潜っているかもしれません。

そんな僕がこの「つくりら」で、海の生物というテーマを中心に記事を連載していくことになりました。僕が撮った写真のなかから会心作を選んで紹介し、それにまつわる体験談や想いを綴っていきます。あなたが「お気に入り」に登録して下さるような連載にしたいと張り切っています。

この企画の最大の目的は、あなたに楽しんでもらうこと。それと、この地球に棲(す)む美しい命の存在とその神秘を、あなたにも感じてもらうこと。僕はそれを直に体験しているので、大自然をこよなく愛しています。あなたにも共感してもらい、興味を持ってもらえたら最高です。

もちろん、僕の得た知識も共有して下さいね。きれいな写真や面白い話もいいけれど、それだけではもの足りないでしょう。学びがあってこそ理解が深まり、面白さや味わいもいっそう深まります。

僕は幸運にも、自然の中でのびのびと生きる野生動物たちと時を忘れて過ごし、多くを学ぶことができます。彼らの暮らしぶりを間近に見れば、素晴らしい知能や魅力を持っていることを発見したり、なんて人間とよく似ているんだと驚くこともあります。

あなたは今、自宅でこの記事を読んでいますか? それとも職場で? あるいは学校のコンピュータールーム? 少しの間、一緒に別世界へプチ旅行しましょう。大自然の素敵な住人たちに会って、気分をリフレッシュして下さい。

 

 

この連載を始めるにあたって真っ先に紹介したいのは、僕が生まれて初めて遭遇したマッコウクジラ(学名 Physeter macrocephalus)のエピソードです。

簡単にサワリだけ言うと、そのマッコウクジラは僕を見つけるとすぐ、強力な音波(エコーロケーション、歯クジラ特有の音)を一直線に発射してきて、なんと、巨大な頭の上に僕をのせるなり、僕の脚をくわえ込んだのです。

クジラに食べられる!? 心臓が縮み上がりました。

 

大人のマッコウクジラは恐るべき巨体です。メスは体長11〜12メートル、体重は約14トン。オスはもっと大きくて体長はだいたい15〜17メートル、体重は40トン以上、アフリカ象なら7頭分の重さです。僕が見たなかで最大のオスは体長20メートル以上ありました。大人のメスとオスが並んだら、普通の人と横綱ぐらいの違いがあります。

僕の脚をくわえたマッコウは9〜10メートルぐらいで、まだ大人ではないけれど、ばかでかいことに変わりはありません。

僕はもう頭の中が真っ白。とにかく逃げなきゃと思って力を振り絞り、なんとか逃げたのですが、振り向くとマッコウがついてくるではないですか! 右に行けば右に、左に行けば左に……。絶望しました。

ああ、もうダメだ、クジラの餌食になって一巻の終わりだ。

そう思った瞬間、覚悟が決まりました。だったらせめて、誰も撮ったことのないベストショットを撮ってやろう、と。

当時、持っていたカメラは36枚撮りのフィルム式。撮り放題の今のデジタルカメラと違って枚数に限りがあるので、ここは慎重にシャッターを切らなければなりません。僕は泳ぎながら必死で考えました。光が頭上や背後から差し込む、撮影に最適な方向は? ベストの絞りはいくつ? シャッタースピードは?

いつの間にか、恐怖心が少しだけ薄れていました。撮影の計算をしたおかげで頭が少し回り出したのか、疑問も浮かんできました。

「なんであのマッコウは僕を食べないんだ?? 僕よりずっと速く泳げるのに」

 

そのあと僕が取った行動は、誰が考えてもおかしいです。

でも振り返ってみれば、あれが僕の生き方を決定的に方向転換させた、人生最大の決断でした。

僕はカメラを調節してUターンすると、マッコウの真正面から泳いでいきました。

そう、逃げるのをやめて、マッコウに近づいていったのです!

写真を数枚撮り、距離が縮まったのでカメラをそっと下ろすと、マッコウがじっと動かなくなっていることに気がつきました。僕が向かってきたことに驚いたのでしょう。

僕が漂うようにすれ違ったとき、目と目が合いました。2メートルもない近さからマッコウの左目を見ると、彼もじっと見つめ返してきました。

敵意のかけらもない、純粋な好奇心に満ちた眼差しでした。

「キミは誰? 一緒に遊んでくれる?」。不思議に思って問いかける頭の働きが見えました。

それから3時間以上、僕はその若者マッコウと一緒に過ごしました。

白状すると、恐怖心や不安は最後まで消えませんでした。でも、無理もないですよね、こんなに巨大な野生動物と初めて一緒に行動したのだから。

 

それ以来、クジラのことをもっと知りたくなって自分なりに勉強し、いろんな種類のクジラと多くの時間を過ごしてきました。だから、今では断言できます。

あのマッコウ君は僕を餌にする気は全然なかった。あれは甘噛み(あまがみ)だった。

マッコウクジラは仲間たちと交流するとき、互いに甘噛みし合うことがあるのです。子犬が噛んでくるのと同じで攻撃するつもりはなく、逆に「遊ぼうよ」とか「友だちになって」と誘う表現です。マッコウ君は、僕のことを仲間だと思ったのかもしれません。

 

彼から学んだことがもうひとつあります。僕たち人間の行動が、野生動物にどんな影響を与えているかということ。

写真をよく見て下さい。マッコウの口の右端からロープのようなものが出ていて、尾びれの先まで続いているでしょう?

これは延縄漁(はえなわりょう)の延縄で、口の中には大きな釣り針が刺さっていました。若いクジラは好奇心が強いので、何だろうとくわえてみたのでしょう。僕はその場で釣り針を外してあげたかったのですが、針が貫通していたため助けることは不可能でした。おそらく彼は一生、釣り針と延縄をつけたまま生きていくのだろうと思うと悲しくなります。

延縄漁は、僕たちの食べる魚を獲るための漁法のひとつです。僕も魚を食べますし、世界中ほとんどの人が食べていますよね。でも、人間の食生活がときにはクジラにも深刻な影響を与えることを目の当たりにして、この現実が頭から離れなくなりました。クジラと人の命はいろいろな意味でつながっているのだと、しみじみ考えさせられた出会いでもありました。

 

 

今回のエピソードはいかがでしたか? 何か発見があったならうれしいです。

野生のマッコウクジラは普段は深海で暮らしているので、探しに行かない限り出会うチャンスはほとんどないですよね。見た目だって巨大な丸太ん棒みたいですが、実際には頭が良く、探求心や遊び心を持っていて、人間との共通点がたくさんあります。

マッコウクジラの魅力を多くの人に、とくに子どもたちにも知ってほしいと願っています。

クジラは種類によってライフスタイルや性格が違うので、また面白いエピソードを紹介していきます。

 

次回は、僕にプレゼントを持ってきてくれたアシカが主役です。お楽しみに!!

TONY WU(写真・文)

トニー・ウー

もともと視覚芸術を愛し、海の世界にも強く惹かれていたことから、1995年以降はその両方を満たせる水中写真家の仕事に没頭する。以来、世界の名だたる賞を次々と受賞。とりわけ大型のクジラに関する写真と記事が人気で、定評がある。多くの人に海の美しさを知ってもらい、同時にその保護を訴えることが、写真と記事の主眼になっている。日本ではフォトジャーナリズム月刊誌『DAYS JAPAN』(デイズ ジャパン)の2018年2月号に、マッコウクジラの写真と記事が掲載された。英語や日本語による講演などもたびたび行なっている。

加藤しをり(翻訳・構成)

奈良県出身、大阪外国語大学フランス語学科(現・大阪大学外国語学部)卒業。翻訳家。エンタテインメント小説を中心に、サイエンスや社会派の月刊誌記事など出版翻訳が多い。一般の技術翻訳や、編集にも携わる。訳書は『愛と裏切りのスキャンダル』(ノーラ・ロバーツ著/扶桑社)、『女性刑事』(マーク・オルシェイカー著/講談社)、『パピー、マイ・ラブ』(サンドラ・ポール著/ハーレクイン)、『分裂病は人間的過程である』(H.S.サリヴァン著/共訳/みすず書房)、『レンブラント・エッチング全集』(K.G.ボーン編/三麗社)ほか多数。