vol.17

海に欠かせないもの

写真・文/トニー・ウー 翻訳/嶋田 香

写真家トニー・ウーさんの「トニーと海の物語」第17回目です。クジラたちととても身近(心的にも実距離的にも)に接せられるトニーさんだからこそ知り得て撮れる世界があります!今回の写真の数々を初めてご覧になって驚かれる方も多いかも知れません。この物体は一体なんだろう?謎は読んでいくうちにゆっくりと溶けて行きます!トニーワールドにようこそ!!

これ、なんだか分かりますか?

 

 

分からなければ、次の写真がヒントになるかもしれません。上の写真に写っているものを、友だちに見せようとしてボートに持ち帰ったところです。

 

 

まだ分かりませんか?

コンピューターの画面越しに、匂いもお伝えできたら、これの正体がすぐに分かると思いますよ。

次の写真で、絶対に分かるはず。

 

 

そう。クジラのウンチです!

 

これまでのコラムでは、ザトウクジラ、コククジラ、マッコウクジラと、3回に渡ってクジラについて少しずつお話ししてきたので、今回は話題を変える予定でした。でも、クジラのウンチについては、もう少しだけお話ししたほうがいいかなと考え直しました。なんといっても、僕が大好きな話題ですからね。

 

おかしな話だと思うかもしれませんが、クジラのウンチは、本当にとても大切なものなんです。おそらく気づいていないでしょうけれど、あなたは毎日クジラのウンチに大いにお世話になっているんですよ。

 

「なんだって? そんな馬鹿な話があるもんか」って、思いますか?でも本当なんです。

 

その訳をこれから説明しますが、その前に、どうして僕がこれほどクジラのウンチに興味を持つようになったか、お話しさせてください。

 

きっかけは、ザトウクジラでした。ザトウクジラは普通、夏の間は脂肪とエネルギーを蓄えるために食べられるだけ食べて、繁殖期の冬の間は餌を食べないと考えられています。この生活戦略の一環として、彼らは長距離の季節移動をします。

 

たとえば日本で見られるザトウクジラは、夏の間は遠いアラスカなど、餌になる魚がその時期に増える海域で過ごします。冬が近づくと、交尾と出産のために日本近海へ戻ります。

 

上の写真でウンチをしているのはザトウクジラですが、僕がこのクジラを見たとき、季節は冬でした。ザトウクジラが餌を食べないことになっている季節です。でも、食事をしなければ、ウンチは出ませんよね。

 

だから僕は、すごいぞ!と思ってわくわくしました。

 

このザトウクジラはきっと、この少し前に何かを食べたんでしょう。餌を食べないはずの時期に、食べないはずの場所で、ですよ!この写真は、そのことを間接的に示す証拠になるわけですから、そう気づいて僕は嬉しくなったんです。

 

それから、マッコウクジラたちとの出会いもありました。

 

彼らはしょっちゅう僕の目の前でウンチをして、僕をウンチまみれにしてくれたものです。

 

 

僕はそのことを不思議に思っていました。でも、そう思ったのは、ザトウクジラのウンチにわくわくしたのとは別の理由からです。

 

マッコウクジラは人間と似ています。季節にも場所にも関係なく、いつでも餌を食べます。

ですから、健康なマッコウクジラは、人間と同じように頻繁にウンチをします。そういう訳なので、マッコウクジラのウンチシーンは、ザトウクジラの場合と違って珍しい訳ではありません。僕が首をかしげたのは、彼らがウンチをしたことではなく、そのウンチを僕に引っかけたこと。

 

詳しく説明すると、こうです。彼らは僕の近くにいるときに、よくウンチをします。そしてその後、下に向かって潜っていくか、上の写真のように、向きを変えて去っていきます。後に残された赤茶色のウンチの「けむり」はとても濃くて、その中を泳ぐと何も物が見えなくなってしまうほど。(そう。僕はウンチの中も泳ぐんですよ。そのときには、何も飲みこんでしまわないように注意しています)。

 

その様子はまるで、逃げて行くマッコウクジラが、自分の姿を僕から隠すための煙幕としてウンチを利用したように見えました。でもそれもおかしな話です。マッコウクジラの体は、僕よりもはるかに大きいのですから。

 

僕はこの考えを馬鹿げていると思って、長いあいだ誰にも話したことがありませんでした。でもある日、著者のリチャード・エリスが書いた「The Great Sperm Whale」という本(註1)を読んでいたら、こんな記述を見つけました。学術論文からの引用で、子連れのメスのオガワコマッコウ(Kogia sima)が漁網にかかったときに、自分たちの姿を隠すためにウンチをした、というのです(註2)。オガワコマッコウは小型のハクジラで、マッコウクジラの近縁種です。

 

エリスさんと連絡したとき、僕は自分の体験について話してみました。するとエリスさんは、僕の出会ったマッコウたちが、オガワコマッコウと同じような行動をとっていた可能性は十分にあると言うではないですか!

 

 

僕は長年に渡って、たくさんのクジラのウンチシーンを写真に収めてきました。理由は主に自分自身の興味のため。それから、クジラがウンチでお絵かきをしたかと思うほど、水中に描かれた模様が美しかったので写真を撮ったこともあります。

 

すると、数年前から、思いがけないことが起こるようになりました。クジラのウンチのいい写真を探しているという研究者たちから、連絡をもらうようになったんです。どうやらクジラのウンチにかけては、僕は誰よりもいい写真を撮っているようです。

 

 

僕は連絡をくれた研究者のうち、とくにバーモント大学のジョー・ローマンと長々としたやりとりをしました。彼は2014年に発表したクジラのウンチに関する論文の中で、上の写真を使っています(註3)。

 

彼の論文の要点は、こうです。クジラはたくさんの餌を食べるので、ウンチをたくさんします。クジラの中には、マッコウクジラのように、深海の餌を食べて海面でウンチをするものもいれば、ある場所で餌を食べて、遠く離れたところへ移動してからウンチをするものもいます。言い換えれば、クジラは世界の海を旅しながら、養分を集めて再びばらまく農夫のようなもの。クジラによって分散された養分は、肥料の働きをして植物プランクトンの成長を支え、その植物プランクトンは、海に暮らすほとんどの生物の暮らしを支えています。

クジラとそのウンチが存在しなければ、健全な海は存在しないのです。

 

それだけではありません。植物プランクトンは、地上に生える植物と同じように、生きていくのに必要なエネルギーを光合成によって得ています。光合成の過程で、二酸化炭素(CO2)を吸収して酸素(O2)を生成します。植物プランクトンはこのことによって、大気の組成を、現在の地球に暮らす生物にとって適切な状態に保つのに役立っています。

 

大気中の二酸化炭素濃度の増加が人為的な気候変動の主な原因だと懸念されている今日では、大気中の二酸化炭素を取りのぞく働きは、とりわけ重要です。研究者らの考えでは、植物プランクトンは、人為的に排出された二酸化炭素の3分の1近くを吸収してくれているといいます(註4)。

 

それからもちろん、人間もその他の動物も、呼吸をするためには酸素が必要です。推計によれば、大気中の酸素の50~80%は、植物プランクトンによって生みだされたものです。

そういう訳で、私たちはクジラのウンチに大いにお世話になっています。

 

 

長い年月が経つうちに、僕はクジラのウンチについて随分と詳しくなりました。機会があると他の人にクジラのウンチの話をして皆に僕と同じくらいクジラのウンチを好きになってもらいたいと熱心に説明します。上の写真から、そのことが伝わるかも知れませんね。

 

友人のロンが、シロナガスクジラのウンチを手に、にっこりとほほ笑んでいるところです。

これを読んでいるあなたにも、いつの日か、クジラのウンチを手に取って、匂いをかぐチャンスが訪れるといいな、と願っています。

 

 

 

(註1) https://kansaspress.ku.edu/978-0-7006-1772-2.html, page 82

 

(註2) Scott, M. D. and J. G. Cordaro. 1987. Behavioral observations of the dwarf sperm whale, Kogia simus, Marine Mammal Science 3(4):353-354

 

(註3) Joe Roman, James A Estes, Lyne Morissette, Craig Smith, Daniel Costa, James McCarthy, JB Nation, Stephen Nicol, Andrew Pershing, and Victor Smetacek, 2014. Whales as Marine Ecosystem Engineers, Frontiers in Ecology and the Environment. https://doi.org/10.1890/130220

 

(註4) Samarpita Basu and Katherine R. M. Mackey 2018. Phytoplankton as Key Mediators of the Biological Carbon Pump: Their Responses to a Changing Climate. Sustainability 2018, 10(3), 869. https://doi.org/10.3390/su10030869

TONY WU(写真・文)

トニー・ウー

もともと視覚芸術を愛し、海の世界にも強く惹かれていたことから、1995年以降はその両方を満たせる水中写真家の仕事に没頭する。以来、世界の名だたる賞を次々と受賞。とりわけ大型のクジラに関する写真と記事が人気で、定評がある。多くの人に海の美しさを知ってもらい、同時にその保護を訴えることが、写真と記事の主眼になっている。日本ではフォトジャーナリズム月刊誌『DAYS JAPAN』(デイズ ジャパン)の2018年2月号に、マッコウクジラの写真と記事が掲載された。英語や日本語による講演などもたびたび行なっている。

嶋田 香(しまだ かおり)

東京都出身。東京農工大学農学部卒業、同大学院修士課程修了。英日翻訳者。主にノンフィクション書籍の翻訳を行う。訳書は『RARE ナショナルジオグラフィックの絶滅危惧種写真集』(ジョエル・サートレイ著/スペースシャワーネットワーク)、『知られざる動物の世界9 地上を走る鳥のなかま』(ロブ・ヒューム著/朝倉書店)、『動物言語の秘密』(ジャニン・ベニュス著/西村書店)、『野生どうぶつを救え! 本当にあった涙の物語』シリーズ(KADOKAWA)など。
翻訳協力:株式会社トランネット