vol.5

水面下のシンフォニー

写真・文/トニー・ウー 翻訳・構成/加藤しをり

写真家トニー・ウーさんの「トニーと海の物語」第5回です。海の中では普段私たちが知らないことがたくさん起こっています。気の遠くなるほど長い歳月をかけて織りなされた大自然の営みがそこにあります。目に見える景色だけではない、ひっそりと隠れている海の中の真実!『水面下のシンフォニー』、今回もトニーさんの写真と文章でその未知なる神秘の世界を覗いてみてください。これまでに体感したことのない何かをほんの少しでも感じて頂けたなら嬉しいです!

交響曲には素晴らしい芸術作品がたくさんあります。4楽章から成るものが多く、それらが巧みに構成されて、ひとつの完全無欠な楽曲になっています。モーツァルトの交響曲第41番「ジュピター」や、ベートーベンの交響曲第5番「運命」のような名曲を生の演奏で聴くと、印象的な旋律がコンサートホールの隅々に共鳴して胸にこだまし、魂を揺さぶる旅へといざなわれます。世界のトップクラスのオーケストラによる演奏は、不思議にずっと余韻が続いて心が研ぎ澄まされます。是非、あなたも一度、生のオーケストラを聴きに行ってみて下さい。オススメです。

 

コンサートホールに足を踏み入れたときから、感銘を受けます。威容を誇る大きな会場、格調高い雰囲気、歴史的な伝統、建築様式もまた素晴らしい。聴衆が席に着き、演奏家たちがめいめい楽器のチューニングを終えると、指揮者が登場。そして、タクトが振り下ろされた瞬間から、本当の感動が始まるのです。あなたは目に見えないものを体感し、魔法にかかってしまうことでしょう。

 

つまり、コンサートの本当の美と価値は、目で見たり手で触れたりできるものばかりではないということです。

最大の真価は、こんなにも多くの専門家と楽器が一体となって演奏し、名曲に新たな命が吹き込まれることにあります。

 

「わかった。で、それが海とどんな関係があるの?」とあなたは思っているでしょう?

 

ではまず、この写真を見て下さい。これは僕が、パラオ共和国の空から撮った一枚です。

あなたはこれを見てどう感じるでしょう。

 

 

紺碧の海、入り組んだ小島の群れ、なんて美しいんだろう。僕はそう感じると同時に、地形や気象といった大自然の複雑な営みが、幾億年もかけてこの光景を織り上げてきたことを思い、深い感動がこみ上げてきました。

 

まさに、コンサートと同じです。

 

目に見える景色だけでも感動的だけれど、真の価値は、この海の中に隠れている、自然界の絶妙なバランスにこそあると感じるのです。この環境を支えているのは、この一帯で共存している無数の多様な生物たち。彼らが全員で奏でている神秘のハーモニーが、海から立ちのぼってくるようです。

あなたも心の耳を澄ませば、魂を揺さぶる調べが聞こえるかもしれません。

 

オーケストラでは弦楽器、金管楽器、木管楽器、打楽器といったさまざまな楽器を、数十人で演奏しますよね。演奏者はめいめいが一流のプロですから、ソロで演奏しても美しいメロディーとリズムを生み出せます。そんな人たちが全員、心をひとつに合わせて美を生み出すことを目指し、持てる技術と才能のすべてを捧げたときに、演奏がピタリと同期して初めて、奇跡の調べが生まれます。

みんなの実力を単純に足し算しただけではない、それを超越した美が生まれる。これは魔法としか言いようがありません。

 

同様に、魚やサンゴ、海綿、エビやカニの甲殻類、タコやイカの軟体動物など、あらゆる海の生物も大なり小なり、それぞれの生活スタイルに合った複雑な進化を遂げてきて、多彩な能力を身につけているのです。

 

例えば、次の写真を見て下さい。

 

 

「海金魚」とも呼ばれるオレンジ色のキンギョハナダイ(金魚花鯛、ハタ科、学名 Pseudanthias squamipinnis)が群れています。彼らは驚異的なスピードで泳ぐことができ、潮に流されてくる小さな生物を捕食します。ものすごくすばしこくて、僕たちが手づかみにすることは絶対にできません。

それなのに、この群体から離れて遠出することはめったにないのです。

 

「どうして? 泳ぎの名人なら恐れなくてもいいはずでしょう? 誰かに追いかけられても逃げ切れるんだから」

 

そうですね、大きな魚に追いかけられても、たいていは大丈夫でしょう。

それでも、ここなら手近なサンゴの下の隙間や小さな穴に飛び込めるから、安全なのです。

言うなれば、このコミュニティで、地元の仲間たちと協力できるほうがサバイバルのチャンスが大きく、安心感もあります。

 

 

写真にはほかの魚もたくさん写っていますが、みんな協力し合うことで恩恵を受けています。赤やオレンジ色のふわふわした茂みのように見えるサンゴはトゲトサカ属(棘鶏冠、学名 Dendronephthya)の一種で、彼らも離ればなれで生きるより、寄り添って暮らすほうがおそらく餌をたくさん集められるでしょう。

 

トゲトサカのような柔らかいサンゴはソフトコーラル、岩のように見える硬いサンゴはハードコーラル(造礁サンゴ)といいます。

このハードコーラルの体内には必ず、褐虫藻(かっちゅうそう)という単細胞の藻類が共生しています。褐虫藻は陸地の草木と同じく、葉緑素で光エネルギーを吸収して栄養分を作り、それを宿主のサンゴと分け合っています。

サンゴはお礼に別の養分を褐虫藻にあげるほか、水面に伸びていって褐虫藻に太陽の光がたっぷり届くようにし、光合成のための環境づくりもしてあげます。

サンゴは一方で、小さな魚たちに安全な隠れがをたくさん提供するという、重要な貢献もしています。

 

このコミュニティにもゴカイ類などのワーム(虫)や、カニやバクテリア等々、多種多様な生物が大量にいて、お互いに何かをあげたりもらったり、持ちつ持たれつの関係を築いています。それぞれが役割分担して見事なチームワークができあがっているおかげで、航空写真のような健全で美しいコミュニティの光景が維持できているわけです。

優れた演奏家たちが技能に合わせてパートを分担し、全員が一丸となって感動のシンフォニーを生み出すのと、似ていませんか?

 

共通点はほかにもあります。

例えばあなたがコンサートホールの客席に座り、ベートーベンの「運命」の演奏を聴いていたとします。

想像してみて下さい。

 

あの有名な出だしの主旋律が繰り返されているそのさなかに、もしもバイオリンの弦がいっせいに切れたとしたらどうなるでしょう?

 

万事休す。音楽も魔法も、一瞬にしてかき消え、コンサートのすべてが崩壊しますよね。

 

それと似たようなことが、この海のコミュニティで起きたらどうでしょうか。

もしも、サンゴの中で共生している褐虫藻が、突然消えてしまったら?

 

サンゴは、褐虫藻からもらう栄養に頼っているので、大事な命綱が消えたら生きてはいけません。まもなく真っ白になって危篤(きとく)状態になってしまいます。白化したサンゴの表面には、褐虫藻とは別の藻類がびっしり生え出して、新鮮な海水が循環できなくなります。やがて窒息状態に陥ってほかの住人たちにも被害が拡大、ウミウチワ(団扇のような形のサンゴ)や海綿は病気になり、移動できる魚たちは新たな住みかを求めて去っていきます。

健全なバランスが保たれていた美しい生態系はこうして崩壊し、コミュニティは死骸の山と化してしまうのです。

 

実はこの痛々しい事態が、現実に世界のあちらこちらで進行しています。

原因はいろいろ考えられますが、そのひとつは、エルニーニョ現象などで海水温が高くなること。

褐虫藻は一般に30℃以上の水温には耐えられないので、宿主のサンゴから出ていくしかないのです。水温の上昇が長く続くと褐虫藻は戻ってこられないため、その一帯のハードコーラルはほぼ全滅します。

ほかの原因としては、工場や農場、都会などから出る排水とゴミによる海洋汚染。ゴルフ場に撒(ま)かれた農薬も、雨や地下水に溶け込んで海に流れていきます。

 

 

オーケストラのすべての団員とすべての楽器が一致協力できてこそ、珠玉のシンフォニーになるように、水面下でも、海の住人がみんな健全に共生できてこそ維持できる、調和のとれた交響曲のような世界が広がっています。

 

今度、海を見る機会があれば、海の中にもシンフォニーが流れてるんだなって、このコラムを思い出して下さい。

 

TONY WU(写真・文)

トニー・ウー

もともと視覚芸術を愛し、海の世界にも強く惹かれていたことから、1995年以降はその両方を満たせる水中写真家の仕事に没頭する。以来、世界の名だたる賞を次々と受賞。とりわけ大型のクジラに関する写真と記事が人気で、定評がある。多くの人に海の美しさを知ってもらい、同時にその保護を訴えることが、写真と記事の主眼になっている。日本ではフォトジャーナリズム月刊誌『DAYS JAPAN』(デイズ ジャパン)の2018年2月号に、マッコウクジラの写真と記事が掲載された。英語や日本語による講演などもたびたび行なっている。

加藤しをり(翻訳・構成)

奈良県出身、大阪外国語大学フランス語学科(現・大阪大学外国語学部)卒業。翻訳家。エンタテインメント小説を中心に、サイエンスや社会派の月刊誌記事など出版翻訳が多い。一般の技術翻訳や、編集にも携わる。訳書は『愛と裏切りのスキャンダル』(ノーラ・ロバーツ著/扶桑社)、『女性刑事』(マーク・オルシェイカー著/講談社)、『パピー、マイ・ラブ』(サンドラ・ポール著/ハーレクイン)、『分裂病は人間的過程である』(H.S.サリヴァン著/共訳/みすず書房)、『レンブラント・エッチング全集』(K.G.ボーン編/三麗社)ほか多数。