vol.4

不機嫌そうなジョーフィッシュ

写真・文/トニー・ウー 翻訳・構成/加藤しをり

写真家トニー・ウーさんの「トニーと海の物語」第4回です。これまでの3回とはちょっと違った海の生き物の登場です。どんな小さな生命にもそれぞれの営みがあって、少しアングルや立ち位置を変えると今までには見えていなかったものが見えてくる、気づかなかったことに気づかされる、そんな海の中の小さなそして大切な物語「不機嫌そうなジョーフィッシュ」の始まりです。

これまで3回連載したなかでは、僕が経験した一生に一度の出来事を紹介してきました。
最初は、僕の脚をくわえたマッコウクジラの若者、2回目はプレゼントを持ってきてくれた遊びが大好きなオーストラリアアシカ、そして前回は、僕が悲鳴をあげたウツボのバーニー。

 

もちろん、海の動物がみんなフレンドリーなわけではありません。
そこでこの第4回では、違うタイプの動物を知ってもらおうと思います。

写真の魚はジョーフィッシュ(アゴアマダイ属 学名 Opistognathus sp.)の一種です。
これまでの主人公はみんな図体が大きかったのですが、このジョーフィッシュは僕の親指くらいです。体は小さいけれど、態度はデカイのですよ。この顔を見ればわかるでしょう?
「あっちへ行け! オレさまは忙しいんだ」。小さな顔のわりに、にらみつける目ヂカラは堂々の貫禄です。

 

ジョーフィッシュは太平洋、大西洋、インド洋の温かな海域ならどこにでもいます。アゴアマダイ属はおよそ80種に分類されていますが、あまり研究されていないので、知られていない種類がまだまだいそうです。

 

研究が進まないのは、海洋生物全体に共通する悩みです。人間は長時間水中にいることができません。つかまえて観察するのが難しい生物もたくさんいます。おまけに、研究には莫大(ばくだい)な費用がかかります。食用にできるなど、人間にとって「利用価値」の高い種類以外は、研究費を出してくれるところが少ないのです。

 

僕がジョーフィッシュの写真を撮り始めたのは、今を去ること20余年、インドネシアのカリマンタン(ボルネオ島)沖の小島で、日本の友人と2人でダイビングしていた1997年のことです。

 

僕は2週間の滞在中、朝のダイビングでは毎回欠かさず、浅瀬にいるこのジョーフィッシュの前に陣取って2〜3時間、他の魚には目もくれず、じーと観察していました。
一般のダイバーは、せっかく海外の海に来たのだからできるだけ多くの生き物を見て帰ろうとしますが、僕のダイビングスタイルはちょっと違います。「広く浅く」ではなく一点集中型、ターゲットを絞って時間をたっぷりかけるのです。そうすればその動物の生活風景が垣間見られて、ワクワクします。ある程度行動がわかってくると、職業柄、その生物特有の瞬間を狙った写真を撮りたくなります。

 

ジョーフィッシュは面白い行動をする魚です。とても活動的で、信じられないほどきれい好き。もし、あなたが海の中でジョーフィッシュをゆっくり観察する機会があれば、まず間違いなく、興味深くて見飽きない行動パターンを目撃できるでしょう。

 

ジョーフィッシュは砂の中や石ころの隙間に穴を掘って住んでいます。
穴を掘る? 僕たちのような手を持っていないのに、一体どうやって掘るんでしょう。
答えは簡単、口を使うのです。下の写真を見て下さい。
ジョーフィッシュは巣穴に飛び込んで砂や小石を口いっぱいにほおばると、穴の外に乗り出してそれを全部、なるべく遠くへペッと吐き出すのです。これを何度も何度も、ほとんど一日中飽きもせずくり返します。

 

ときどき、巣穴の入り口で立ち止まって全体を見回したりします。エントランスはきれいに見えるかなって感じで。気に入らないときは、「この小石は左側より右側に置いたほうがいいな。あっちの石は右から左に移そう」などと数分かけてリフォームしたりするんですよ! 気がすむとまた巣穴に飛び込み、部屋の掃除を再開。ジョーフィッシュの作業は果てしなく続く……。

 

 

この観察から学んだことが、今回のテーマです。
おそらくあなたが今まで思いつきもしなかった疑問を、ここで考えてみましょう。

 

前回までの主役はみんな大型の動物で、僕に興味を持って一緒に遊んでくれました。
それなのに、今回のカラフルで愛らしい魚は、どうして無愛想に見えるのでしょうか。

 

ヒントは、ジョーフィッシュが休みなく巣穴を掘っていること。

 

僕たち人間はたいてい、自分より大きな動物を怖がります。少なくとも最初は怖いです、とくに相手が鋭い歯や牙、爪を持っている場合。例えば熊に出会ったら、反射的にウワッと思うでしょう?

 

逆に小動物はどうですか? ペンギンやモモンガなどは大きな歯や牙がなくて、かわいい、触りたいと思いますよね。

 

これは、人間の動物的な自己防衛本能からきている先入観です。
大型の動物を見ると、襲ってくるんじゃないかと警戒する。でも、華やかなイエローボディに透き通ったグリーンの大きな目を持つ小魚なら、「あら、かわいい! 仲よくなれそう」と無条件で思い込んでしまいます。

 

しかし、それは大きな間違いです。

 

例えば、マッコウクジラのような、とてつもない巨大生物が水中で口を開けて近づいてきたら、誰しも警戒しますよね。
そこで、ちょっと想像してみて下さい。

 

もし、あなたがマッコウクジラだとしたら、どう感じるでしょう。
立場が逆転すれば、受ける印象は全然違います。

 

マッコウから見れば、人間は動きののろい小さなイキモノです。全速力で泳いでもクジラにはとうていついて行けません。彼らは逃げようと思えばいつでも逃げられますし、人間を恐れる理由がありません。
特別なケースを除けば、クジラが人間に対して恐怖を抱くことはなく、普通は無視して通り過ぎます。

 

でもなかには、第1回で紹介したマッコウ君のように、人間に興味を持って自ら近づいてくるタイプもいるわけです。
あのときのマッコウ君は僕を見てどう感じたでしょうか。
「かわいらしい小さなイキモノだな、あんなに必死で泳いじゃって」って思っていたかもしれません。

 

では、今回の主役、ジョーフィッシュはどうでしょう。

 

僕がジョーフィッシュを見て感じるのは、「カラフルで小さくて、かわいいね」。
どうですか? マッコウ君が僕を見た印象と似ていませんか?

 

僕たちダイバーからすると、ジョーフィッシュはずっと見ていたいカワイイ存在であり、写真の被写体としても人気者です。
しかし、ジョーフィッシュからすれば、機材を身につけたダイバーは何千倍もの大きさです。おまけにうるさいし(スキューバダイビングは呼吸のたびに泡がブクブクとにぎやか)、危険な匂いがプンプンする謎の生物。だから、簡単に気を許すわけにはいきません。

 

あんなに巣穴の手入れやリフォームに時間とエネルギーを費やすのも、すべては天敵から身を守るためだったのです。

 

つまり、最初の写真のジョーフィッシュはコワイ顔をしているけれど、無愛想ではなく、ムッとしているわけでもない、というのが僕の観察の結論です。
生き延びるためには、マイホームを常にメンテして頑丈に保たなければいけない。毎日ひたすら修繕に追われて超多忙、というのが厳しい現実なのです。巣穴に入った石ころをせっせと口で集めては外に運び出す、そんな健気(けなげ)な姿を見ていると、「よくがんばってるね!」と声をかけてあげたくなりました。

 

小動物はみんな、大型動物よりもはるかに危険だらけの日々を送っています。もし、巣から離れて自由気ままに泳ぎ回ったら、高い確率で大きな魚の餌食になったり、手入れの行き届いたマイホームを誰かに乗っ取られたりもします。

 

かといって、小動物はすべて探求心がない、コミュニケーションができないとは限りません。場合によっては、自分から近寄ってくる子もいます。


最後に、僕の経験則をもうひとつ。
相手がどのように感じ、考え、どんな行動を取るかを理解するには、相手の立場に身を置いて想像してみるのが近道だということ。
これは動物だけでなく、人間関係にも言えますね。

TONY WU(写真・文)

トニー・ウー

もともと視覚芸術を愛し、海の世界にも強く惹かれていたことから、1995年以降はその両方を満たせる水中写真家の仕事に没頭する。以来、世界の名だたる賞を次々と受賞。とりわけ大型のクジラに関する写真と記事が人気で、定評がある。多くの人に海の美しさを知ってもらい、同時にその保護を訴えることが、写真と記事の主眼になっている。日本ではフォトジャーナリズム月刊誌『DAYS JAPAN』(デイズ ジャパン)の2018年2月号に、マッコウクジラの写真と記事が掲載された。英語や日本語による講演などもたびたび行なっている。

加藤しをり(翻訳・構成)

奈良県出身、大阪外国語大学フランス語学科(現・大阪大学外国語学部)卒業。翻訳家。エンタテインメント小説を中心に、サイエンスや社会派の月刊誌記事など出版翻訳が多い。一般の技術翻訳や、編集にも携わる。訳書は『愛と裏切りのスキャンダル』(ノーラ・ロバーツ著/扶桑社)、『女性刑事』(マーク・オルシェイカー著/講談社)、『パピー、マイ・ラブ』(サンドラ・ポール著/ハーレクイン)、『分裂病は人間的過程である』(H.S.サリヴァン著/共訳/みすず書房)、『レンブラント・エッチング全集』(K.G.ボーン編/三麗社)ほか多数。