vol.23

オオカズナギからのメッセージ

写真・文/トニー・ウー 翻訳/嶋田 香

写真家トニー・ウーさんの「トニーと海の物語」の第23回です。この連載も残すところ今回を含めて残り2回となりました。毎回、トニーさんの捉えた海の中の生き物たちの一瞬の表情にわくわくとし、トニーさんの語り掛けてくれる言葉に耳を澄ませてきました。知らなかったことを発見できる喜び、このエッセイの中からトニーさんの想いを受け取って頂けたら嬉しいです!!

この魚について、ちょっとお話させてください。

 

 

この2匹が何をしているか、わかりますか? 次の写真を見ると、もう少しはっきりするかもしれません。

 

 

写真に写っているのは、オオカズナギ(Zoarchias major)という魚のオスです。2匹で大口を開けて顔を突き合わせ、戦っています。体の大きさは、どちらも10cmほど。

 

これを見て、「なぜ戦っているんだろう?」って、不思議に思いませんか?

 

僕もこの魚を見たときに、同じことを思いました。山口県の日本海にある、青海島という小さな島を訪れたときのことです。

 

山口県でダイビングショップを営む笹川勉さんと妻の美紀さんが、2000年ごろに、この魚に初めて目をとめました。

 

初めのうち、その魚には特に変わったところがあるようには見えませんでした。小さな魚です。岩や岩礁の穴に、すぐに姿を隠してしまいます。おまけに、ダイビング用のライトで照らされていないと、茶色くて周りの藻類や海藻と見分けがつきません。要するに、目立たない魚です。

 

 

この魚が種として存在することは1972年に科学的に記載されていましたが、野外における行動はほとんど観察されてきませんでした。

 

そのうちに笹川夫妻は、オオカズナギが5月の末に突如として姿を現し、10月ごろに姿を消すことに気づきました。それ以外の時期に、どこにいるかはわかっていません。ひとつ考えられるのは、普段は海の深いところに住んでいて、一年のうちのある時期にだけ浅いところへ移動してくる、という可能性です。

 

この魚は、なぜそんなことをするんでしょうか?

 

深いところに住んでいるのなら、ずっとそこにいるほうが合理的ではないですか? 浅いところへ移動すれば、その途中で、自分より大きな腹ぺこの魚に襲われる危険があるんですから。

 

この謎を解くカギになりそうな行動を勉さんが目撃したのは、2003年のことです。1匹のオオカズナギが、大口を開けて岩に沿って泳いでいました。すると間もなく、もう1匹のオオカズナギが現れて、こちらも大口を開け、最初の1匹と顔を合わせて攻撃的な行動をとり始めました。

 

要するに、ケンカを始めたんです!

 

観察を重ねるにつれ、笹川夫妻はそれ以外のことにも気がつきました。

 

オオカズナギたちはそれぞれの巣穴に入っていることがよくあります。魚からすると、巣穴にも優劣があるらしく、彼らは「いい巣穴」を巡って争います。巣穴にいるオスに別のオスが近づくと、穴の持ち主は口を開けて威嚇します。威嚇されると、後から来たオスは、去っていく場合もありますが、去らずに、大口を開けて巣穴の持ち主とケンカを始める場合もあります。ケンカの結果、勝ったほうがその巣穴の持ち主になります。そうやって何度も挑戦者が現れ、何度もケンカが行われて、巣穴の持ち主は入れかわっていきます。

 

巣穴を巡るオオカズナギ同士のやりとりを知ったことで、この魚が浅いところへ移動する理由が少しわかってきました。

 

他の動物について考えた場合、オス同士が競うのは普通のことですし、特に繁殖期には、縄張りや優位な地位を獲得するためにオスは争い合うものです。例えば、発情期のシカのことを考えてみてください。

 

それに、水深の深いところに暮らす動物の多くが、繁殖のために浅いところへ移動することが知られています。例えば、日本近海では、クサウオ(Liparis tanakae)やホテイウオ(Aptocyclus ventricosus)などがそういった行動をとります。

 

まとめると、どうやらオオカズナギは普段は海の深いところで暮らしていて、子どもを作る時期になると浅いところにやってくるらしい、ということになりますよね? でも残念ながら、自然界の出来事について明確に答えを出せることはめったにありません。

 

第一に、オオカズナギもその巣穴も小さいので、これまで卵や子どもの姿を目にした人は誰もいません。ですから、この魚が浅いところに来るのは繁殖のためだと論理的に推測することはできても、この時点では、はっきり言えません。

 

第二に、巣穴を巡って争うのはオスだけではありません。メス同士も争うんです!

 

 

僕は、ケンカが大好きなメスに会ったことがあります。

 

 

僕が様子を見ていると、そのメスは大口を開けたまま岩礁を泳ぎ回って、他のメスと出会うたび、積極的に戦っていました。しかし、体が小さいので負けてばっかり。でもすぐに気をとりなおして、次から次とケンカ相手を探し回っていました。

 

 

動物の世界では、一般的にオス同士が優位な地位を巡って争いますが、メス同士が争うことはあまりありません。僕が知っている例では、熱帯域に住む渉禽類(水辺や浅瀬を歩いて採食する鳥類)のレンカクの仲間は、メスが縄張りを形成して、それを守るためにメス同士が争います。けれども、そのようなメスの行動は明らかに例外であって、一般的ではありません。

 

オオカズナギという魚を観察すればするほど、謎が深まっていきました。オス同士が争うだけであれば、水深の浅いところへ移動する目的は、繁殖のための縄張りを確保することだと素直に考えるのがよさそうです。

 

けれども、メス同士も争うとなると、話はややこしくなります。

 

オスもメスも、どちらもが優位な地位を求めて同性間で争うことなど、ありうるのでしょうか? そのような事例を僕は他に知りませんが、だからといって、検討する価値がないということにはなりません。

 

さらにややこしいことに、オス対メスでもケンカをするんです!

 

笹川夫妻とオオカズナギについて初めて話をしたとき、巣穴にいるオスにメスが近づいて体をこすりつけることがあるという話を聞きました。二人はこの行動が求愛であり、繁殖行動の前触れではないかと考えていました。

 

そのことが頭にあったので、僕は巣穴にいるオスにメスがすり寄って体をこすりつけ、オスの頭に体を巻きつけるのを初めて見たときに、興奮しました。

 

 

そのオスが、メスに攻撃をしかけたとき、僕がどれだけびっくりしたかわかりますか?

 

 

「これは絶対に求愛行動じゃないぞ」と、僕は思いました。

 

陸に戻って自分が見たことを笹川夫妻に話すと、二人も僕と同じ反応でした。

 

僕が見たのはごくまれな行動だった、という可能性もあります。このオスが、このメスのことを嫌っていただけなのかもしれません。

 

でも、観察を重ねるにつれ、メスがオスに体をこすりつける主な理由は、求愛ではなさそうだとわかってきました。

 

僕も何度か目撃しましたが、穴にいるオスにメスが近づいて、頭をくわえ、オスを穴から引っこ抜いてしまうことがあるんですよ! オスのほうはもちろん、そんなことをされて嬉しいわけがないでしょう。

 

 

どうやらメスのこの行動は、ねらった巣穴を奪い取るための奇襲攻撃のようです。愛情表現ではなかったんです!

 

メスの攻撃は常に成功するとは限りませんでしたが、いったんメスの狙いがわかると、メスが近づいたときに、オスが落ち着きをなくして身構えるのがわかるようになりました。

 

というわけで、2000年からこれまでの間に、オオカズナギについてわかったのは、次のようなことです。5月になると、おそらく海の深いところからやってきて、10月になると姿を消す。オス対オスでも、メス対メスでも、オス対メスでも、気に入った巣穴を取り合ってよくケンカをする。僕らの考えでは、これらの行動はすべて繁殖と何かしらの関係がある。それ以外のことは、いまだに謎のままです。

 

僕がどうしてこの話をしたと思いますか?

 

もちろん、あなたにも僕と同じくらいオオカズナギに興味を持ってもらいたいからですが、それよりも、この魚の生態についてたとえ忘れてしまっても、覚えていて欲しいことがあるからです。

 

インターネットやテレビや本、新聞や雑誌などを通じて、 日々さまざまな情報が流れ込んでくるので、僕たちは自分が物知りだと思ってしまいがちです。学校では事実や数値を暗記するように教わり、どうやって試験に答えればいいかを教わります。試験の答案は丸かバツかに分けられて、僕らの評価はどれだけの事実を覚えたかによって決まります。

 

もしも日常のほとんどではないにしても多くの側面で黒か白か、正しいか誤りかがはっきりしているのであれば、一生を通じて学校時代と同じように暗記式の勉強をしていればすむのでしょう。夕方の人気クイズ番組の話であれば、クイズの答えは、ほとんどの場合、100%正解か不正解かのどちらかです。

 

けれども、現実はそんなに単純ではありません。その上、我々人間は物知りだと思いこんでいるけれど、実際にはそうではありません。

 

オオカズナギの生態と行動は、ほんの一例です。この魚について、僕はわずかなことしかご紹介できていませんが、これがこの魚の行動に関する知識のほぼすべてです。つまり、何もわかっていないに等しいんです。

 

オオカズナギが何をしようが、どう振る舞おうが、たいていの人にとってはどうでもいいということはわかっています。大切なのは、自分ではわかっているつもりでも、実はわかっていない場合が多くあるということです。

 

例えば、ある人は身長が155cmまでしか伸びないのに対して、ある人は180cmまで伸びるのは、正確にいうと何が理由なのでしょうか? 教科書を読めば、「身長は遺伝的特徴に左右される」と書いてありますが、それでは詳しいことは理解できません。厳密にDNAのどの部分が関係しているかは誰にもわかりませんし、個人の身長がDNA以外にもたくさんの要因に影響を受ける可能性が高いという事実も、その説では考慮されていません。

 

あるいは、前回のコラムのテーマを思いだしてください。人間の体の中の大半の細胞が、人間以外の生物のものならば、自分が何者なのかをあなたはどう定義しますか? 純粋に自分だといえる10%の細胞ですか? それとも、体の内部や表面にすむ別の生物も合わせたのが自分でしょうか?

 

体の中にいる生物の活動が、身長をはじめとする自分の特徴に影響しているかもしれないと考えたことはありますか?

 

オオカズナギについて笹川夫妻や、 共に潜ったダイバーたちが発見した事実や観察記録により、いくらかの情報が得られましたが、この魚についてそこまで詳しいことがわかったのは、おそらく世界で初めてのことです。その情報があったおかげで僕は、心構えを持って撮影の準備をすることができましたし、この魚の行動について新たな点に気づき、 知見を得ることができました。そして、その情報をさらに笹川夫妻に伝えることもできました。

 

僕らは各自がオオカズナギのことを調べて、わかったことを教え合い、他の人たちにも情報を伝えてきました。だからこそ、疑問点を互いに質問し合ったり、この魚についてもっと知りたいという思いを共有したりすることができています。僕らは、わかっていることよりも、わからないことのほうが多いと十分に認識しています。

 

何かを学ぶ時に大切なのは、自分は分かっていると自信を持ってしまわずに、よく分かっていないという事実を悟って、はっきりと認識することです。

 

孔子の言葉だとされている格言に、僕の言いたいことを要約したものがあります。「之を知るを之を知ると為し、知らざるを知らずとせよ。是れ知るなり。( 知らない事は、知らないと自覚すること、これが本当の知るということである、という意味)」

 

言いかえれば、知らないことは問題ではなく、無知であることに満足し、学ぼうとしないことこそが問題だということです。

 

僕があなたに覚えておいて欲しい大切なこととは、これ。オオカズナギからのメッセージです。

 

TONY WU(写真・文)

トニー・ウー

もともと視覚芸術を愛し、海の世界にも強く惹かれていたことから、1995年以降はその両方を満たせる水中写真家の仕事に没頭する。以来、世界の名だたる賞を次々と受賞。とりわけ大型のクジラに関する写真と記事が人気で、定評がある。多くの人に海の美しさを知ってもらい、同時にその保護を訴えることが、写真と記事の主眼になっている。日本ではフォトジャーナリズム月刊誌『DAYS JAPAN』(デイズ ジャパン)の2018年2月号に、マッコウクジラの写真と記事が掲載された。英語や日本語による講演などもたびたび行なっている。

嶋田 香(しまだ かおり)

東京都出身。東京農工大学農学部卒業、同大学院修士課程修了。英日翻訳者。主にノンフィクション書籍の翻訳を行う。訳書は『RARE ナショナルジオグラフィックの絶滅危惧種写真集』(ジョエル・サートレイ著/スペースシャワーネットワーク)、『知られざる動物の世界9 地上を走る鳥のなかま』(ロブ・ヒューム著/朝倉書店)、『動物言語の秘密』(ジャニン・ベニュス著/西村書店)、『野生どうぶつを救え! 本当にあった涙の物語』シリーズ(KADOKAWA)など。
翻訳協力:株式会社トランネット