vol.13

ハゼパパの子育て

写真・文/トニー・ウー 翻訳・構成/加藤しをり

写真家トニー・ウーさんの「トニーと海の物語」第13回目です。今回は「魚は実際にどのくらい子供の面倒をみるのだろうか」というお話です。前回のコブダイのヤマト君の神秘の成長の軌跡に負けず劣らぬ不思議さと魅力に満ちた海の中の物語です。小さな生命がいかに育まれ紡がれていくのか、その親と子供の感動に満ちた水面下のドラマをそっと覗いてみてください!

あなたは『ファインディング・ニモ』という映画を観たことがありますか? ずいぶん前にヒットした作品ですが、僕にとってはいまだにお気に入りの映画のひとつです。ピクサー・アニメーション・スタジオ(映像制作会社)によって海が生き生きと描かれ、さまざまな海洋動物が巧みに表現されています。

 

主役のニモは、カクレクマノミ(隠熊之実 学名 Amphiprion ocellaris)という魚の子どもです。舞台はオーストラリアのグレートバリアリーフ。ニモがまだ卵から孵化する前に、どう猛なバラクーダ(オニカマス)がやってきて、卵を守ろうとしたママが襲われ、ママを助けようとしたパパのマーリンはバラクーダに殴られて気絶してしまいます。マーリンが息を吹き返したときにはニモの卵だけが残っていて、ほかの卵は全部、ママとともに消えていました。

 

ニモは無事に生まれて順調に育つのですが、学校に入った初日に事件が起こります。
その日は遠足で、サンゴ礁の端まで行くと近くに船が浮かんでいました。ニモは3匹の友だちと肝試しをします。「あの船の底に触って戻って来られる?」

 

その結果、自分の勇敢さを友だちに見せたかったニモだけが船底に触ることに成功、でも、戻って来ることはできませんでした。運悪くダイバーに捕まり、ニモは連れ去られてしまいます。

 

そのあとは、一人息子ニモを捜すマーリンの大活躍を中心に展開します。ニモ救出作戦を手伝ってくれたのはサンゴ礁の住人たち、3匹の愉快なサメ、カメ、さらにクジラまで。最後にはニモが無事に帰って来るという、ハッピーエンドの楽しい映画です。

 

そこで、こんな疑問を抱いたことはありませんか?
魚は実際にどの程度、子どもの面倒を見るのだろう……。

 

大半の魚類は子どもの世話をしません。例えばサケ。ドキュメンタリー番組などによく出てくる通り、サケは外洋から北海道などの川に戻ってきて卵を産み、そのあとは死んでしまいます。卵は誰の保護もないまま放置されます。

 

しかし魚類の4種類にひとつは、何らかの形で子育てをします。(註)
どういう形でどの程度というのは種類によって異なりますが、なかにはとても面倒見の良い親もいます。

 

その典型的な例を紹介しましょう。

 

 

かわいい顔をしているでしょう? 僕はこの白いあごひげが大好きです。
名前はサビハゼ(錆沙魚 学名 Sagamia geneionema)、体長は最大で約7cmと小さく、分布は日本と韓国の沿岸のみで、比較的浅い砂泥(さでい)の海底で暮らしています。

日本のダイバーたちはこのサビハゼをよく見かけます。しかし、目が覚めるようなビビッドカラーではないし、どこにでもいるありふれた小さな魚なので、注目する人はほとんどいません。残念なことです。
なぜなら、とくにサビハゼのオスは献身的な父親で、文字どおり命懸けで子どもを守る種類だからです。


サビハゼはどんなふうに子どもを守るのでしょう。
毎年、冬になるとメスは巣穴の天井に多くの卵を産みつけ、オスが受精させると、メスはそのまま放置して出て行ってしまいます。

 

お母さんに捨てられた卵たち……でも心配はいりません、お父さんがついています!

ひたむきに卵を守る父親の姿を見て下さい。

 

 

天井には大事な我が子たちの宿る卵塊(らんかい)がぶら下がっています。
孵化するまでは卵を清潔に保ち、外敵から守ること、それが父親の役割です。

サビハゼの卵は海水の温度にもよりますが、一般に孵化まで1、2週間かかります。そのあいだ父親は片時も卵から離れません。自分の餌を探しに行くことすらしないのです。つまり、ほぼ絶食の状態で、四六時中、見張っています。
美味しくて栄養価の高い卵がぎっしり並んでいるのは、腹ペコの魚にとってはよだれが出るようなご馳走です。そこで、次の写真のようなトラギス(虎鱚 学名 Parapercis pulchella)が、隙あらばと狙ってくるのです。

 

 

僕は実際に目撃しました。このトラギスは、しつこく何度も卵を盗もうとしました。
でも、サビハゼの父親は負けていません。トラギスのほうが体が大きいのに、その都度撃退し、敵はついに強盗未遂のまま逃げて行きました。


卵が順調に育つと、最初は黄色がかった美しいオレンジ一色だったのが、こんなふうに……

 

 

小さな胚体(はいたい)が育ってきます。写真は細胞分裂の段階で、やがて目や心臓などができていきます。

やがて胚体は親と同じような体形に近づき、孵化と同時に泳げる態勢が整ってきます。
次の写真をよく見て下さい。丸い卵黄の上や下に、透明な顔や尻尾があるのがわかりますか?

 

 

こうして仔魚(しぎょ)が誕生すると、父親の任務は終わります。余力が残っていればまたメスを見つけて産卵を目指すサビハゼもいるそうですが、長い間絶食していたので、オスは生き延びること自体が難しくなります。


「サビハゼのメスはどうしたのかな」と思うでしょう?
メスのほうは、産んだ卵を献身的なオスに任せて餌を食べに行き、別のオスを探します。繁殖期の間じゅう、メスは次々と新しい相手を見つけては、できる限りたくさんの卵を産むのです。

メスがさまざまに相手を替えて多数の卵を産み、オスは命懸けで育児をする。その結果、子孫の遺伝子は最大限多様化し、種として存続する確率も高くなります。この役割分担方式が成功している証拠に、サビハゼは今も無数に生息しています。

ちなみにサビハゼの寿命は短く、およそ1年です。ということは、翌年には新しい世代と交代するので、繁殖期には確実に代々、命をつないでいかなければなりません。そのためにオスもメスも、それぞれに頑張っているのだと思います。


この水面下のドラマをどこで取材したのだろうと思っている人のために書いておきますが、写真はすべて静岡県の三保の松原で撮影しました。
サビハゼがどんなに一途(いちず)に子どもを守るか、その感動の実態は、遠くまで行かなくても観察し、学ぶことができます。


そうそう、最後にもうひとつ知ってほしいことがあります。

『ファインディング・ニモ』について。
もしニモのお母さんが亡くなったのだとしたら、実際には、お父さんのマーリンがメスに性転換し、ニモのお母さんに変身するはずなのです!

 

それが、カクレクマノミの現実の生態です。

カクレクマノミの場合は一般にオスのほうがメスより小さく、でもメスが死んだ場合に限って、オスの体が大きくなってメスに変身します。
これは、前回のコラムの主役、コブダイのヤマト君とは真逆の大変身というわけです。

「海」って本当に、神秘に満ちていると思いませんか?

 

(註)
What a Fish Knows: The Inner Lives of Our Underwater Cousins June 6, 2017
by Jonathan Balcombe (Author)
Part VI: How a Fish Breeds, Parenting Styles.
https://www.amazon.com/What-Fish-Knows-Underwater-Cousins/dp/0374537097

 

日本語版『魚たちの愛すべき知的生活―何を感じ、何を考え、どう行動するか』
ジョナサン・バルコム 著 桃井緑美子 訳 2018年10月19日刊
パート VI 魚はどのように子をつくるか 「子育てのスタイル」
https://amzn.to/2OzaaVy

TONY WU(写真・文)

トニー・ウー

もともと視覚芸術を愛し、海の世界にも強く惹かれていたことから、1995年以降はその両方を満たせる水中写真家の仕事に没頭する。以来、世界の名だたる賞を次々と受賞。とりわけ大型のクジラに関する写真と記事が人気で、定評がある。多くの人に海の美しさを知ってもらい、同時にその保護を訴えることが、写真と記事の主眼になっている。日本ではフォトジャーナリズム月刊誌『DAYS JAPAN』(デイズ ジャパン)の2018年2月号に、マッコウクジラの写真と記事が掲載された。英語や日本語による講演などもたびたび行なっている。

加藤しをり(翻訳・構成)

奈良県出身、大阪外国語大学フランス語学科(現・大阪大学外国語学部)卒業。翻訳家。エンタテインメント小説を中心に、サイエンスや社会派の月刊誌記事など出版翻訳が多い。一般の技術翻訳や、編集にも携わる。訳書は『愛と裏切りのスキャンダル』(ノーラ・ロバーツ著/扶桑社)、『女性刑事』(マーク・オルシェイカー著/講談社)、『パピー、マイ・ラブ』(サンドラ・ポール著/ハーレクイン)、『分裂病は人間的過程である』(H.S.サリヴァン著/共訳/みすず書房)、『レンブラント・エッチング全集』(K.G.ボーン編/三麗社)ほか多数。