vol.8

ゴミと生きる

写真・文/トニー・ウー 翻訳・構成/加藤しをり

写真家トニー・ウーさんの「トニーと海の物語」第8回です。海の生物たちの中には私たちの考えも及ばないような日々の暮らしを送っている生き物たちもたくさんいます。普段知ることの出来ないような生物たちの営みをご覧ください。そしてもし、いつも学校や職場や家庭で忙しく休む時間もなく働き続けているとしたら・・・少し立ち止まって、周りを見回して、深呼吸して、そんなトニーさんの優しい声が聞こえてきそうです。

前回のコラムでは、僕たちのゴミがどんどん増えてきて、海にどんな影響を及ぼしているかを紹介しました。驚かせるつもりは全然なくて、普通はなかなか見られない写真をあなたに見てもらって、それをきっかけにゴミ問題を少し考えてもらえれば、というのが僕の願いです。

海にはどんなにたくさんのゴミが隠れているか、海の生物がどんなふうに犠牲になっているか、ほとんどの人は知りません。いつかそのツケが僕たちのところに戻ってくるかもしれない、などと考える人はとても少ないと思います。

 

今回もゴミに関するお話ですが、がらっと角度を変えて、海に捨てられたゴミをうまく再利用している生物の姿を紹介しましょう。

 

この写真はフグの親類、ハリセンボン(針千本 学名 Diodon holocanthus)です。

おちょぼ口で、大きな目がウルウルしていて、かわいいでしょう? でも、危険を感じたり怒ったりすると、水や空気を吸い込んで体をプーとふくらませます。それと同時に、全身にびっしり生えている鋭い棘(とげ)が全部逆立って、身を守る武器になります。普通のフグとは違うので、もしあなたが海で遭遇(そうぐう)したときは、驚かさないようにして下さい。一瞬でトゲトゲのボールになりますから。

 

ハリセンボンは普段、餌を探し回り、ときどき場所を見つけては休むという毎日です。写真は休憩タイムの姿ですが、この休憩所はなんと、古ぼけたペンキの空き缶! そうとうな年代物ですね。これまでさまざまな生物がこの中で育ってきたことでしょう。

この空き缶は、ハリセンボンが安心してリラックスできる避難所でもあります。写真のように外を見て安全を確かめてから、また餌を探しに出ていきます。

 

次の写真も、人間が捨てたゴミをリユースしている例です。これはメジロダコ(目白蛸、学名 Amphioctopus marginatus)という小型のタコで、ガラスのボトルをシェルターにしています。

 

中が丸見えのところに隠れるなんて、変なのって思いますよね(笑)。でもタコは軟体動物、ぐにゃぐにゃの全身を守れる硬いものなら、何でもいいのです。腹ぺこの魚に追いかけられても、このボトルに飛び込めばもう安心、あとは敵がいなくなるのを待てばいいだけ。

 

 

最後に、僕の大好きな魚を紹介しましょう。

 

英語名は、発見者の奥さんの名前に因んで「ダイナズ・ゴビー(Dinah’s goby)」、学名は「Lubricogobius dinah」という、体長約1.5cmの小さな魚です。和名はナカモトイロワケハゼ(中本色分沙魚)。実はこの発見者は、僕の友人です。

 

公式に確認されている生息地は、もっかのところ沖縄とパプアニューギニアしかありません。このふたつの地域を地図で見るとそうとう距離があり、間に広い海が横たわっています。ナカモトイロワケハゼの生息地はほかにも絶対あるはずですが、なにしろ1センチ半という小ささで、しかも深いところに住んでいるため、簡単には見つからないのです。

 

僕が初めてこの魚の話を聞いたのは、この種に学名が与えられた2001年です。この鮮やかなイエローのボディ、際立つ白い背中、エメラルドグリーンのつぶらな瞳……僕は一目惚れしました。

実物に会いたくて、パプアニューギニアで何度も探しましたが、見つかりませんでした。

やっと会えたのが2011年、この種を発見した友人と一緒にダイビングして、最初にこの種が見つかった場所まで連れて行ってもらったのです。水深33メートルのところに、愛らしいカップルが住んでいました。

彼らのマイホームはなんと、捨てられたビール瓶!

こういう写真を見ると、僕たちのゴミもまんざら悪くないのではと思いたくなるでしょう?

海の生物にとって役に立つことも実際にあるわけです。

 

でも、べつにペンキの空き缶やビール瓶がなくても、ハリセンボンやメジロダコやナカモトイロワケハゼは、手頃な休憩所やマイホームを見つけたはずです。

僕の経験から言えば、海をはじめ自然界に拡大するゴミは、メリットとは比べものにならないほど、デメリットのほうが大きい。これは断言できます。

僕たちのゴミから恩恵を受けている生物の実例をひとつ見つけても、一方では、ゴミのせいで怪我をしたり命を落とす魚やタコ、カメ、クジラなどさまざまな種類の生物が、数百倍、数千倍もいるのは間違いありません。

 

現実を知ったあなたは、ため息をついて考えるでしょう。

「どうしてこの問題を解決できないの? 何か打つ手があるでしょう。海にゴミを捨てる人に罰則を設けるとか、企業には環境に害のないものを作るよう義務づけるとか、法律を作ったり変えたりしたら?」

 

ゴミ問題に取り組んでいる人は世界中にいっぱいいるのですが、実のところこの問題には、人生と同じくらい複雑な事情が絡み合っているのです。

 

例えば、ゴミの海洋投棄を禁止する規制や法律は、すでに多くの国でできているのですが、それぞれの国が管理できるのは、自国の領土と領海の範囲内に限られます。どの国にも属さない「公海」については、船からゴミを投棄するのを止めようがありません。

 

また、日本ほど社会基盤(水道、電気、交通、通信網など経済や社会生活に必要な設備)が整っていない国々や地域では、ゴミの収集や処理加工の仕組みがなく、まともなゴミの捨て場がそもそもない、というところも多いのです。

 

日本のようにきちんと整備されている国でさえ、ちょっと見回せば、ポイ捨てされたゴミはいくらでも見つかりますよね。公園や道ばた、川や浜辺、そして海の中にも。むしろ、ゴミを完全に管理できている国が、はたしてひとつでもあるのか疑問なくらいです。

 

それぞれのお国事情があっても、ゴミ問題では世界中の人々が運命共同体、だれもが影響を受けます。

なぜなら、海流は世界の海を回り続け、ゴミは海流に乗って世界を旅するから。ときには数千キロも離れた海で見つかるゴミもあります。

 

世界中が抱えているこの問題は切実ですが、解決の目処(めど)は立っていません。

さしあたって僕たちにできることはないでしょうか。

定期的に水辺のゴミを拾って分別するといった地道な運動を続けている人々もたくさんいますが、誰でも、いつでもできること、それはやはり「日々、捨てるゴミをできるだけ減らす、 再利用する、リサイクルに出す」ということではないでしょうか。

 

少なくとも、ゴミ箱がないからといって海や山や川など、自然界へのポイ投げだけはやめたいものです。

TONY WU(写真・文)

トニー・ウー

もともと視覚芸術を愛し、海の世界にも強く惹かれていたことから、1995年以降はその両方を満たせる水中写真家の仕事に没頭する。以来、世界の名だたる賞を次々と受賞。とりわけ大型のクジラに関する写真と記事が人気で、定評がある。多くの人に海の美しさを知ってもらい、同時にその保護を訴えることが、写真と記事の主眼になっている。日本ではフォトジャーナリズム月刊誌『DAYS JAPAN』(デイズ ジャパン)の2018年2月号に、マッコウクジラの写真と記事が掲載された。英語や日本語による講演などもたびたび行なっている。

加藤しをり(翻訳・構成)

奈良県出身、大阪外国語大学フランス語学科(現・大阪大学外国語学部)卒業。翻訳家。エンタテインメント小説を中心に、サイエンスや社会派の月刊誌記事など出版翻訳が多い。一般の技術翻訳や、編集にも携わる。訳書は『愛と裏切りのスキャンダル』(ノーラ・ロバーツ著/扶桑社)、『女性刑事』(マーク・オルシェイカー著/講談社)、『パピー、マイ・ラブ』(サンドラ・ポール著/ハーレクイン)、『分裂病は人間的過程である』(H.S.サリヴァン著/共訳/みすず書房)、『レンブラント・エッチング全集』(K.G.ボーン編/三麗社)ほか多数。